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最近のことと、心のゴミみたいな昔話と

日記 毒親 暮らし 日常

大好きな叔母や、お義母さんのような人間になりたかった。

※今回はクソみたいな愚痴垂れ流しです。

 いつもにも増してネガティブ

実際は、どうだろう。あれだけ嫌だった母に似てきてしまっている自分がいる気がしてならない。絶対に母のようにはならないと心に決めていたはずのに。母に似てしまう自分が嫌いだから、こどもに同じ思いをさせる前に消えてなくなりたいという思いも捨てられない。こどもにとって私は悪でしかないのではないかと、日々そんなことを思ってしまう。

話は変わるが、前回の記事↓

産まれてこなければよかった、という呪い。 - てけとうじんせい

これを勢いよく書いたはいいのだけど、離れている母に見られたらどうしよう、怒られるのではと、あれだけ書いておきながら今更びくびくしている。

またそれとは別のところで、母とはおそらく今険悪になっている。尿道結石の件があって、私はもう1人では実家に帰ってくるなと言われているのだが、家族を連れて帰るとも言い出せないほど、今険悪だと思う。実家があるところには当然私の友達がいて、私が大好きな叔母がいる。帰りたいなと思うこともある。でも1人では帰れない。帰りたいと思うときに帰れないのはなかなか辛い。そして実家に帰れないということは、大好きな叔母には会えなくなるにも等しい。私が謝れば解決する。しれっと今度帰っていい?って素知らぬふりで聞けばいいだけの話なのかもしれない、色々面倒くさい。

そんなことを色々と考えれば考えるほど苦しくなって、ついには眠れないほど胃が痛くなり、涙が勝手に溢れて止まらなくなってしまった、そんな夜があった。

家を離れて今現在の方がストレスがダイレクトに体調にあらわれるようになってしまった。これいかに。もちろん実家にいる時の方が断然ハイストレスなわけだが、その時は何も体調面にあらわれなかったのは、私がド健康だったからか、それとも今更になってツケがきているのか、それはわからない。

そんないつものようにメンがヘラっている私を夫は少しもまたか…って顔をせず、少し母のことは放っておこうと言ってくれた。「時間をあければ変わるかもしれないし、変わらなかったら、会いに行きたい人にだけ会いに行けばいい」それを聞いて、そっかと心が少し落ち着くも、それがもしバレて怒られたらと思うと怖くてできやしない。私は何より母から怒られることを恐れている。2時間以上離れた場所にいるのに、考えるだけで震えるほど怖い。

前の記事についても夫に聞いてみると「俺はむしろ見てほしいけどね」とはっきり言った。こいつなんて恐ろしいことを、と最初は思った。だって怒られるに決まってるし、さめざめと言い訳のような愚痴が飛んできたり、逆に育てにくい私が悪いのだと、もし言われるようなことになったら……それこそ胃に穴があいてしまうじゃないか。そう伝えると夫は「今、〇〇(私)が苦しんでるのは紛れもなくお母さんの所為だし、それを知らないまま死ぬのも俺はどうかと思う。あれを見てどうこう言うわけじゃなくて、せめて思い知ってショックを受けてほしい。〇〇はどう思う?それを踏まえて、見て欲しくない?」もう、目から鱗だった。

結婚前から、この人のこういうところがとても好きだった。自分で考えて、自分の意見をきちんと言える人。自分を持っていて、自分が好きな人が私は好きだ。私にはそれがない。こんなことしか思って生きれない、それを迷惑とわかっていて愚痴らずにはいられない自分が大嫌いだ。夫の一言は自分に自信がなくて、母に怯えるだけの私にとって、まさに目から鱗だったし、とにかくありがたかった。それを聞いた私は、素直に見てほしいなと思えるようになった。だからこの記事も書いている。お母さんも大変だったよね。わかってる。でもね、私はね、こう思ってたんだよって…やっぱり知ってほしい。

家の仲を取り持とうと感情を押し殺しながら頑張ったり、何度も枕を濡らしながらそれを無理だと諦め、家がいるのが嫌で、やっと大人になって、出来婚という形で突如として家から出る。
そんなただの素行不良娘の昔話。
母との思い出をここに書いていきたい。

 

 

高校生の時、車通りが激しい交差点で、信号を待ちながら「このまま突っ込んで死ねたらいいのに」って思いながら毎朝通学していた。

それは一時の思春期のものには留まらず、大人になった今でも定期的に思うし、この高校生の時は全てが嫌で、この先いいことなんてなにもないと思っていて、仲の良い友達にもこの先の人生明るいことなんてないから、頑張っている部活動が終わったら死んでしまいたいと、そんなことを漏らしたこともある。ちなみにその時の友達がなんて言ったかというと「松坂牛を食べよう」と返してきた。食べたことはないが、高級肉だから美味しいはず。それを食べずに死ぬのは勿体無いじゃないかって。その後私たちは帰るまでずっと、死ぬまでに味わわなければ勿体無い食べ物を言い合って帰った。あの時のあの返しはほんとに笑った。友達にはとても感謝している。

両親はまさか私がそんなこと考えてただなんて、夢にも思わないだろうと思う。でも、そうだったんだな。今思えば高校生の時の私は、かなり限界だったのだと思う。

自分では頑張って取り持ってきたつもりの両親の仲は、父の借金という形で目に見えて最悪なものとなり、母に「あんたたち(妹がいる)の為に離婚しないんだからね」と言われ、家の中はかつてなく空気が悪くて、どこにも私の居場所なんてなかった。当時頑張ってる部活があったから、それがあるまでは死なない。そうやって死ねない理由を探す毎日だった。でも結局死んでないのだから、痛いのは嫌で死ねないただのメンがヘラった奴なんだと思う。でももし、もうここから楽に消えることができるなら、それができるならみんなにとってそれが一番いいと思っていた。それは今も思うことだけど。

それでも、なんとか道を踏みはずさずに、今まで世間一般の"普通"程度に生きてこられたのは、松坂牛の友達の件もあるが、周りの友達に恵まれていたのと、借金の件で、叔母が真っ先に私を抱きしめて「辛かったね」と言ってくれたからだと思う。両親は大変で、どちらも自分たちのことばかりだったから、あそこで私を気にかけてくれてどれだけ救われたか、感謝してもしきれない。

 

私が一番幼い時の記憶は、2歳〜3歳の頃からある。その頃から、気付いたら塾に通わされていた。教育や、しつけにとことん厳しい母だった。箸がちゃんと持てないと手が赤くなるまで叩かれた。しかし「あんたはまだマシよ。私もおばあちゃんに箸が持てないと箸で叩かれたのよ。まだ手だから痛くないでしょう」が決まってついてきた。何か服で文句を言うと「同じことをおばあちゃんに言うと裸で外に吊るされたわ」と言われる。家の毒が根深いなと思うのは、毒の親もまた毒だから、そうやすやすとこども1人の力で解毒できるものじゃないところだ。

手が出るなんてことはほんとに日常茶飯事で、ひどいときは物だった。しかしそんな母も、遊びにはよく連れていってくれた。母の作るご飯は美味しかった。いい思い出だってたくさんある。そんな思い出と、されたことや、言われたことの狭間でいつも揺れて苦しい。本音はいつも、何より母に好かれたかった。だから母の言う通りにできない私が悪いと思っていた。そんな自分がいつも嫌いで、性格が丸々変わってくれたらいいのにと小学生の時から思っていた。母の言う通りにできるような、別の自分になりたかった。

母と違って、私の中の父はいつも曖昧だ。ろくに話したこともない、そもそもいつも帰宅が遅くて、家にいない。幼い頃はいても毎晩のように母と喧嘩をしていたし、そんな母から父の愚痴を常に聞かされていた。私の顔は父に似ているのだが、母が父を嫌っているため、母が私のことを父に似てるというたびに、私も嫌われてしまうのではないかと、それが怖くて、頑なに認めようとはしなかった。

もうきっかけなんて思い出せないけど、かなり幼い頃から私には爪を噛む癖があった。その癖は幼い頃の癖に留まらず、ついには指の皮までめくるようになってしまった。今現在、強迫性皮膚摘み取り症になっているように思う。私が精神科にかかりたいな、と思う理由の一つだ。

自覚症状としては、以下のものがある。

・爪噛み
・爪のまわりの皮めくり
ニキビはつぶすし、かさぶたできたら剥がすし、言い出したらキリがない。全部時間を忘れて、血が出て痛いと思うところまでやる。治したい気持ちはある。でも治せない。手はいつだってボロボロだ。

そういえばこの皮膚摘み取り症の中の一つに、髪の毛を抜く癖があるのだけど、私も小学生の頃あった。その時の話をしようと思う。

 ……色んなことがストレスだったのか、爪を噛む癖に加えて髪の毛を抜いて、もっと怖いことにそれを食べるという癖が出始めた。その時の絵面は想像したくない。狂ってやがる…おそらく、食べたのは抜いている髪の毛を親にバレたくなかったのではないかと今では思うけど。

案の定、やりすぎて一部分が禿げたことで、母にすぐバレるし、その場で父にもバラされる。母にどうしたの?と聞かれても、知らない、の一点張り。そして、皮膚科へ連れて行かれることになった。あの時は怖かった。だって、当然自分で抜いている自覚があるのだから、嘘がバレてしまうと思ったから。しかし母にはまさか自分で抜いているなんてそんなこと言い出せない。母はなんらかの病気を疑っている。診察も、お医者さんには母の手前、知らない勝手に禿げたと言ったけれど、そんなこと今にバレて、怒られると終始びくびくしていた。しかし、先生は優しく先に待合室へ行っていなさいと、言うだけだった。
その間何が話されたのかはわからないが、そわそわしながら待っていると、待合室から母が帰ってきた。しかし母は何も言わない。でも、その無言が、その顔が、機嫌が最悪だということだけはわかった。私はいつ怒られるのかとびくびくしながら会計を済ませるのを黙って待って、車に乗ると、母は途端に私をしかりつけた。

「私に恥をかかせやがって、あそこにもういけないじゃないか。あんたはいいよね。ストレス?その程度のストレスで髪を抜くんだったらいっそのこと髪の毛を全部抜いてしまえ。」
泣きながらごめんなさいと謝った。
翌日あった家庭訪問では、「見てくださいよ、先生」とまだ禿げている頭を、当時の担任の先生に強制的に見せられた。「この子自分で髪の毛抜いちゃって(笑)」私もそれに合わせて笑った。死にたくなるぐらい恥ずかしかった。そして髪の毛を抜く癖はなくなったけど、かわりに指の皮をめくるようになった。

他に小学生で思い出深いのは、将来の夢の作文で、どうせお母さんに決められると書いて親を呼び出すことになったりとか、80点以下を取ると怒られて叩かれるからそれが怖くてカンニングしてバレたりとか、親の気をひこうとあることないこと嘘ついて担任の先生にバレるとか、男子をみんな〇〇君と君付けで呼んでいたのだけど、仲の良い男子に呼び捨てで、と頼まれて呼んだら、母にバレて怒られ叩かれ、男子に泣きながらできないって言ってドン引きされたりとか、嘘を重ねる私に包丁だして殺してやろうかとか、車を池の前まで出して、一緒にここで死ぬかとか、妹なんて算数の教科書の固い方で顔を叩かれ前歯が2本抜けた。乳歯だったからよかったものの、私も分厚い図鑑で叩かれそうになって死ぬと思ったこともあったし、怒った時の母はほんとうに恐ろしかった。テストで80点以下なんてとろうもんなら、恐ろしくてなかなか家に帰れないし、どうやって隠すか必死になった。なぜ隠し、嘘をつくのか、嘘をつくから怒られるのではないかと母に言われたが、素直に出しても叩かれて怒られるのだから必死に隠す方法だってそりゃ考えるわなと小学生の私に少し同情してあげたい。この頃両親の仲は、父親が性病になって帰ってきたとき母が「私の人生返してよ」と言ってしまった為にもうかなり悪くなっていたらしい。そんなこと後から知るのだけど。

 

さて、中学生になった私がどうなったかというと、勉強する意義がわからなくて、全くする気になれなくなっていた。明日テストなのに何も勉強してない。塾に行ってもやる気はゼロ。部屋に帰ってもぼーっと天井を見つめるだけ。小学生の頃まではドリルの一単元ごとに母の答え合わせがあったのだけど、それが中学生になり、あんたもこどもじゃないんだからとなくなった。母は小学生の頃からの勉強する癖をつけたつもりでいたのかもしれないが、目論見は完全に外れていて、今まで怒られるから勉強していただけなのだとその時気付いた。せいぜい怒られない程度にぎりぎり勉強するぐらいが関の山。高校だって正直どうだってよかった。なんで頭のいい高校に通わなくてはならないのか、そこに行ってもいいことがあるのか。こうやって決められ続けて、少しでも点数が悪ければ叩かれるのに?この先もずっと?私の人生ってなんだ?この頃あたりからそんな気持ちが芽生えてくる。おめでとう反抗期です。ちゃんと人間の成長過程は順調に歩んでいますよ。とにかくそんなのはごめんだと思っていた。母が進める進学校も、学校見学に行ったってなんら興味すら湧かなかった。私は勉強から逃げるように部活動や、諸活動に勤しんだ。母はそれを良く思ってなく、勉強以外の頑張りを認めないので、勉強を頑張らないと、部活動もやらせてもらえなかった。部活をやりたいが為に勉強をしていた。

ある時のこと、悪い順位の成績表をもって帰ると、母は鬼のような形相で怒り、持っていたラケットをヒステリックに階段へガンガンと打ち付けはじめた。驚きすぎて何が起こったのか理解できないまま呆然としていると、ヒビのはいってしまったラケットを真っ二つに折って私に投げつけた。この時の母はそれだけでは収まらず、私の部屋のありとあらゆるものをひっくり返し、電話の子機も粉砕した。そして全部を私に片づけるように命じた。気をつけろ、カーボンは刺さると痛い。

片付けながら、ただただ明日の部活どうしようと考えた。これでも校内では一番強くて、次の試合だって決まっていて、副部長を任されていた。やはり辞めなければいけないのかと泣きながら寝て、次の日は最初に買ったボロボロの初心者用のラケットをこっそり持っていった。そこらへんは割とタフな私。

その日帰ると父が口添えをしたのか、新品のラケットが置いてあって、無事に部活は最後まで続けることができた。そんなことがあったって残りの中学生活も、ずっと私は勉強をしなかった。もちろん母はそんな私を怒り、叩く。しかし私は叩いても言うことを聞かなくなってしまって、そんな私と母が対決していたのが中学生活の主だった。何かにつけては「もう学校へ行かなくていい」「誰が生活させてやってると思っているんだ」と言われ、言い返す気もおきなかった。勝手に公立高校の推薦を取ってきたときも、もしそれに落ちたら、既に受かっていた私立の進学科に進んでもらうと言われた。最初っから私に選択肢などないのだ。だから無理やりでも推薦をもぎ取ってきて本当によかったと思う。それからの親からの私の評価は無駄金使いの聞かん坊、やればできるのにやらないどうしようもない奴。順調に家が嫌いになりつつあった。

 

無事に推薦で受かった高校にあがった私はこれまた部活動に勤しんだ。吹奏楽が好きだった。何よりも音楽が好きだった。もちろん母はよく思ってなく、成績が悪かったら部活動を辞めろと言われていたので、悪かった時はコピーをとってペイントで編集して誤魔化したものを見せたりした。一度だけ正直に見せた時、次の日大切な大会があったが、家に軟禁されてしまって部活に行けなかった。それからはもうずっとコピーしてたな。その頭があったらもっと他に使えと今では思うけど。

父の借金が発覚したのは帰ってきて突然だった。母が慌てふためいて「私の学資保険が全部使われている」と言った。勝手に解約したのは父だと。間も無く帰ってきた父より借金は私の学資保険を全部使っても残りがまだ500万くらいあると言われて、家庭崩壊とはこのことかと他人事のように笑った。しばらく別居することになり、もういっそのこと離婚したらいいのにと勧めたが、しなかった。借金は父の実家と母の実家が揉めてなんとか返済。別居も解消したものの、会話なんてあるわけなく、家庭内別居状態。居心地はかつてなく最悪だった。家のことを忘れるように部活にのめり込んだ。部活を頑張ることで家に帰らずに済むのもありがたかった。朝練はもちろん、土曜日も丸一日練習していたし、休みは日曜日だけだった。それだけ頑張ったおかげか、ソロの地区大会で金を取り、県大会へ行けることになった。初心者の高校生にしたら2年間で本当によく頑張ったと思う。もしかしたら褒めてもらえるんじゃないかと、どきどきしながら電話でそれを伝えると「そんなことより、明日のテストは大丈夫なんでしょうね」とテストの心配をされた。そのまま黙って電話を切った。褒められたことがないのは、私が頑張れてないからだと思っていたけど、これで褒められないのだったら、もう無理だ。同時に色んなことが思い出されて、賞状をくしゃくしゃに握りしめながら泣いた。ほら、小学生や中学生のマラソン大会だって、頑張って7位をとって表彰状を持って帰ったときも、それだけできるんならなぜ最初からやらないのかと怒られたじゃないか。母が唯一認める勉強だって、小学生の時オールAをとったことがある。その時だって、褒めてもらえなかったじゃないか。母は何をしたって褒めてくれないのだ。だからもう母に褒めてもらうことは諦めようと、ここらへんから母に対して諦めることが多くなった。

このまま就職しようと思っていたが、母の強い勧めで大学進学することになる。行ける大学をこれまた推薦で決め、大学に行けることになった。あれだけ借金があったのに行けたのは未だに奇跡だと思う。自動車の免許を取得して、遊ぶお金は自分で稼ぐ。色んなことが自分でできるようになってくる。当時恋人がいて、初めて人を好きになって、愛される喜びを知って、この辺りから人生がみるみる楽しくなる。大学の思い出といえば、妹が病気になって手術をした帰り母が「お願いだから、お父さんと同じお墓には入れないでね」と電車で泣きながら私に頼んだこととか、デートレイプ被害にあったときに慰めるどころか「そんな恥ずかしいこと人に言うんじゃないよ」と言われたりとか、叔母さんの前でうっかり私のことをいつものように不細工だと言い、怒られ、以後言わなくなったことが印象的だった。この頃当時の恋人と別れた私に、その恋人が女性だったから、ものすごい暴言を吐かれたりとか(胸糞悪いから詳しくは書きません。※私はバイセクシュアル)自分に自信をつけたくて、日本一周して帰ってきたときも何かと難癖をつけて「あんたは1人でなんでもできるような気になって、私がいないと何もできないんだからね」と言い放ったりとか。

もうとにかくこの時には家の全てがうんざりだった。一刻も早く家から離れたかった。一悶着あった就職活動も終えて、晴れて就職。この頃には夫と出会って付き合っていて、もう家にはほとんど帰らなくなっていた。もう帰りたくなかった。それで夫に迷惑をかけたのはいい選択だとは思ってないし、今でも申し訳ないと思ってる。でも晴れて結婚して、家が離れてどれだけ苦しかったか思い知るそんな毎日を送っている。

 

昔話はこれでおわり。また今の話に戻ろう。

金銭面ではやはり親に感謝せねばならない。でもこうやって書いてみると異常さが浮き彫りになるのも自分でもわかった。というか辛い。自分で子ども育てて、わかる部分もあるし、しんどかったのもわかるけど、わからない部分も多くて、やっぱり愛してなかったのでは?とか考えてしまうのもしんどい。辛い。

前の記事でも言ったように、普通の家庭というものを夫の家族で目の当たりにして、今までの人生は、苦労は一体なんだったのかと愕然とするし、正しく愛されなかった私がきちんとこどもを愛せるのか?私もそうなってしまうのでは?とどうしもうもなく子育ては不安だし、そうやっていつも必要以上にピリピリしてる気がして、しんどい。漠然と生きるのがしんどいのはやっぱり今でも変わらない。

いつも自分の行動の基準が、母に怒られないように何かをするだったから、怒られない環境に行くと何をしていいかわからない。その逆もなんだけど、何かをすると、母が怒るかもとビクビクするのもなかなか治らない。

「このままだと、ど根性ガエルの娘みたいなことになるよ」と夫は言う。

どうだろう。もし、父や母が倒れた時私はこんなはずじゃなかったと思うのかな。後悔するのかな。

それは置いておいても、介護問題で衝突するのは目に見えてるそうで。ははあ、おっしゃる通りだと思います。もし、このまま介護問題に直面したら冗談ではなく胃に穴があくな。それまでになんとか自分の心を整理したいとは思っている。

今はまた母が嫌い期なんだと思う。悪い人じゃないんだ。ただちょっとヒステリックなだけなんだ。高校の時だって毎日弁当を作ってくれた。母のごはんはとても美味しかった。

母の愚痴を聞かされていたせいで、全ての根源は父親にあると思い込んでいたけど、今となってはわからない。

父親も、ヒステリックな母親に参ってギャンブルに走ってしまったのではないかとそんなことを思ってしまう。父親父親で悪いところはたくさんあって、仕事での父の姿はわからないが、家庭での父はあまり尊敬できるものではなかった。しかし母よりは幾分か話が通じるのは確かだ。就職活動でぶつかったときも、テニスラケットを粉砕されたときも、話が通じたのは父親だけだった。しかしもう離れてしまった今となっては、それを確かめる術はないけど。

あーあ、父と母を好きでいたかったなあ

ずっとずっと好きでいたくて、自分が取持ったり頑張ればいいと思って我慢したりもしてきた。でも、無理だった。私の力が足りなかっただけかもしれない。

出来の悪い娘で、どうしようもないやつでと、お母さんやお父さんが言うたび、心から私は本当に産まれてきてよかったのだろうかと思うよ。

私が産まれてきてしまったが為に、無駄なお金を使わせてしまって、離婚もできなくて、なんも得することなかったよね。あーあ。ほんと親孝行のできない、出来の悪い娘でごめんねー!

 

さて!長々とごみみたいなこと書いたけど、ごみみたいな気持ちはこういうとこに吐き出しちゃって、気持ちを切り替えるに限るね!!

精神科へ行きたい。というかカウンセリングしてみたい。そんな軽い気持ちで行ってみてもいいのだろうか。なんて言えば?何を主に聞けばいいのやら。でもこんな気持ちが少しでも改善するのなら、解決法があるのなら、プロの視点からお願いしたいと思ってる。

……まあなんとかなるかぁ〜

いつだってそうやって自分にできることを少しずつ精一杯やろう。それができさえすれば未来はどうなるかわからないけど、きっと、大丈夫。

あ、ひとつ高校生の時の私に言えるのは、大丈夫大丈夫この先、大人って超楽しいこといっぱいあるよってそれだけ。辛かったことも、全て笑い話に変えてやる。私にはそれぐらいの強さが必要なのかもしれない。

幸せになってやるからなー!見てろよ!

産まれてこなければよかった、という呪い。

日記 毒親

※1/17何が言いたいかわからなかったので少し追記しました。

一生私はその呪いに縛られて生きていくのかな、とネガティヴになっていたのは、本当に生理前ってのもあったみたいです。まあ一番は前の記事で母親から恨み言が書かれたLINEが来たせいなのだけど。

この記事を何故書いたかと言えば、毒親について知ってほしい。家は変?って思ってる人にいち早く気付いてほしい。本当はそんなことを言いたかった。何よりもこれを、高校生の時の自分に宛てて書いてるような気がします。君の家毒親だから安心?して離れなさい、ってそんなことがわかるように。

そんなたくさんの気付きとなるきっかけを、この記事に詰め込みました。せめて毒親とは〜まではお付き合いいただけたらと思います。

はじめに

貴方は、突如として、普通だと思っている友人に「実は私(または俺)親が嫌いでさ〜」と話しかけられたとする。貴方は何と答えるだろうか。場所は様々だ、大勢の人の中での飲み会やら、あるいは2人きりで。友人は、別に虐待されたわけではないと言う。だとしたら貴方は「親に感謝しなきゃ、大人にならなきゃ」と言うだろうか。でももし、少しでも余裕があったのなら、どうか「どうしたの?」と話を聞いてあげてほしい。

友人も、こんな話で空気を悪くしたくないから、おそらく茶化して話しはじめるに違いない。しかしその心の奥底では真剣そのものだ。

話を聞いた上でそう思うのなら「感謝しないと」と言えばいい。そうでなければ、どうか「自分の家は違う」と言ってほしい。別にその話に同情しなくていい。ただそれを言ってくれるだけで、自分の家が異常であると気付く、大切なきっかけになるからだ。

気付く、というのがそれだけ大切で、難しいことである。ということを知ってほしいと思う

毒親とは。毒親チェックリスト、関連本

これだと思ったきっかけはもう忘れてしまったけれど、「あ、家はちょっと変かもしれない。」と気付きはじめたのは中学生の時だった。おかしいかも?と思いながら成長を重ね、段々それが確信に近いものとなり、大学生の時毒親というワードに行き着いた。

ちなみに、毒親とはなんぞや?Wikipediaさんはこう言っている

毒親 - Wikipedia

 毒親(どくおや、英:toxic parents)とは、過干渉などによる児童虐待によって、一種の毒のような影響を子供に与える親のこと。

毒親、を調べていく内に機能不完全家族という言葉も出てくると思うので、こちらも載せておく。

機能不全家族 - Wikipedia

機能不全家族(きのうふぜんかぞく、英:Dysfunctional Family)とは、家庭内に対立や不法行為、身体的虐待、性的虐待心理的虐待、ネグレクト等が恒常的に存在する家庭を指す。機能不全家庭(きのうふぜんかてい)とも称され、その状態を家庭崩壊(かていほうかい)、もしくは家族崩壊(かぞくほうかい)と言われている

だいたいこのぐらいの歳の時に、「不幸にする親」という本を買った。 

 

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

 

 

この本の中に、チェックリストがあるのだが、Webで取り扱っているページがあったので、もし、毒親かどうか気になる人がいたら試しにやってみてほしい。66項目もあるけど。

 毒親チェックリスト 毒になる親の特徴

この66項目の中で22項目以上(1/3以上)当てはまるならば、影響を受けている可能性が高く、まずある程度普通の親に育てられたこどもは1/3を超えることはない、とまで著者ははっきりと本で述べている。今でも私は44項目が当てはまってしまった。当たり前のことが当たり前じゃなくて、なおかつ異常だということの衝撃はすごい。あまりの衝撃に最初こそ認めたくないとまで思ってしまうが、わかりやすく1/3という基準があれば、認めるしかない。認めようという次の段階に進むことができる。

さて、毒親や、機能不完全家族の元で育てられた子どもはアダルトチルドレンになりやすい傾向にある。もし上記の項目にたくさん当てはまるようなら、こちらも確認しておくといい。

 アダルトチルドレン - Wikipedia

今は親元を離れ、結婚して、こどもも2人授かり、4人の家族と暮らして、これ以上ない幸せを感じている。それなのに、未だに呪いが私を苦しめる。親のことで今でも胃が痛くなるし、過去のやりきれない思いで胸が張り裂けそうになる。呪いは自分で思ってるより根深い。義実家に行って、普通の家族を知れば知るほど、今まで育った環境の異常さに気付いて、差を感じてしまう。家族を許したいけど許せない。そんな思いから初めて「母がしんどい」「毒親育ち」という2冊の本を買った。 

 

母がしんどい

母がしんどい

 

 

 

毒親育ち

毒親育ち

 

 
2冊とも境遇は違う。まるで違うのに、まるで私だと思った。「母がしんどい」は共感しすぎて読み進めるのが辛くなり、「毒親育ち」では他人に頼れず頑張りがちなところや、自分を大切にできないところ。特に作中に出てくる「承認欲求のゾンビ」という言葉なんて、私そのもので笑ってしまった。

他には…こちらも有名だが、「ゆがみちゃん」

「ゆがみちゃん」本編 ①追憶編|原わた|note

最近だと、完結してないがWebで読めるもので、ふんわりジャンプから「毒家脱出日記」

毒家脱出日記~親が苦手じゃダメですか?~ | ふんわりジャンプ

特にこの、第8話のこのシーン。

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このシーンがわかりすぎて辛かった…他人の家に行ってお母さんとお父さんが会話してるのがショックでたまらない。わかる。わかりすぎる。このように普通の家と毒親育ちでは、自分の価値観が自分が気付かぬ内に歪められてしまうのも特徴だと思う。

そしてこちらは、毒親をテーマにしていないが「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」と「一人交換日記」個人的に共感するところが多かったので、載せておく。

一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)

一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)

 
さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

 

 これら先駆者の本を読むことで、読み進めるのは辛いかもしれないが、「家ってそうかも?」段階の人には「家はそう!」まで進めることができる。これは本当にありがたいことなのだ。

生まれ育った家族、家庭というものは、自分にとっては当たり前のところであり、まさか異常があるとは、自分では気づけない。(思いたくないというのが強いかもしれない)だいたいは、何かしらで生きづらさを感じることにより、初めて異常に気付く。その時点でもう、そのこどもは毒されているといえる。特に精神的な虐待については、一見普通に見えるので、発見も遅れがちだ。他の家って、家庭ってなかなか比べようがなくて難しい。

私も確信がなかなか持てなかった一人だ。よくよく考えてみれば、家は暴力はないものの、借金、両親の不仲、言葉の暴力や支配「産まなければよかった」にはじまり「あんたは何をやってもダメ」「父親に似て本当に残念な顔」「ブサイク」等々……塵もつもれば、山。数え役満なのに。

その他毒親について、または毒を受けてしまった自分について、参考にしたブログも併せて紹介したい。

「父親がクズなのがホントのことだとして そのグチを子どもにぶつける行為はクズではないの?」 - 斗比主閲子の姑日記

親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係

大人になってから自己肯定感を高めるには - こじらせ女子のつまらない出来事

群がる「親」という名の感謝乞食たち - yuhka-unoの日記

自分の親が毒親だと気付いたら

もしくは、自分が毒されていると気付いたら、どうしたらいいのか。

気付けた時点で半分以上は抜け出せていると思っています。一先ずおめでとう。先ほども書いたが、家族、家庭というところは、自分にとっては当たり前のところで、なかなか他と比べようがないから気付くのも遅れがちなところがあるように思う。気付くことまでも大変。頑張ったね。気付けたら後はもう脱出あるのみ。いざ行かん外の世界。

でも、ごめんね。そこからも大変。

気付いたら気付いたで苦しいです。あと50%は自分の心との戦い。ここまでも色々葛藤してるのにね。毒されたと思う人、自分は人との接し方、人とは違うように思える人。どんなに幸せでも親の影がちらついてしまう人。私みたいに呪いに思い悩む人などなど、とにかく毒親によって、今に生きづらさを感じてしまう人。

どうしたらいいのでしょう。それはもう、溜まってしまった毒を「正しい」ところへ吐き出す。それしかない。

「正しいところ」というのは人によって様々(配偶者、友人、本を読む等)だと思うが、その一つの選択肢として精神科、カウンセリングをやはりお勧めしたい。だって、心のプロだもの。

「母がしんどい」の方も最終的には精神科・カウンセリングを受けているところをみると、やっぱりそれが一番なのかな、と思う。

精神科はハードルが高いという人。日本いのちの電話連盟というのがあって、無料で電話相談できるそうなので、まずはそれも一つの手かもと思います。

一般社団法人日本いのちの電話連盟

そんな偉そうなこといいつつ、私自身夫に吐き出すだけ吐き出して、行きたいと思いつつ行けてないので、いつかこの記事の続編として精神科へ行ってみた、みたいなタイトルの記事を書けたらいいと思う。乞うご期待。

産まれてこなければよかった、という呪い

ここからは特に掘り下げて過去のことを書いていこうと思う。自分語り乙で、吐き出したいままに自分が毒を吐いているだけなので、毒親が何か知りたかっただけの方はブログを閉じていただければと思う。

あ、上記で紹介した「母がしんどい」はpixivコミックで少し無料で読めるので、気になる方は是非。

 母がしんどい - 無料マンガサイト pixivコミック

……さて、虐待といえば、世間ではまだまだ身体的な虐待を想像するかもしれない。そして、そういう人に比べれば暴力を振るわれないだけで、生きているだけで感謝しなさいと言われる。加えて、親は私を大学まで進学させてくれた。立派だと思う。ほら、やはり感謝しなければ、と言われることだろうと思う。

誰に対しても、ぽろりと私が「親が好きではない」と零すと、必ずと言っていいほど「親に感謝しなきゃ」と言われる。親が嫌い、という言葉は世間では絶対に言ってはいけないことであり、それを言ってしまうのは、まだまだこどもであるという社会の意志さえ感じる。

確かに感謝しなければならないことは山ほどある。私が産まれたこと、礼儀やマナーを育み、衣食住にだって困ったことはない。だから親に感謝しなければ、と頭では理解している。その上で嫌い、憎いという感情が捨てられない。

特に産んでくれたことには感謝せざるを得ない。私という人間が産まれてくることができたのは、紛れもなく母と父のおかげだ。でもそれを人から「産んでくれたのだから、感謝しないと」言われると「じゃあなんで『産まれて来なければよかったのに』と言ったのでしょうね」と噛み付きたくなる衝動をいつも抑えている。

「産まれてこなければよかった」「あんたなんて産まなきゃよかった」「あんたさえ産まなきゃ私は離婚できたのに」

これらの言葉がいついかなる時でも頭を離れない経験をしたことがあるだろうか。私はこれを言われたことにより、自分を大きく否定された。自分の存在意義が曖昧で、自己肯定感が著しく低くて、漠然とした不安をずっと抱え、悩んで生きてきた。未だかつて私の周りでこの言葉を言われた人に実際に出会ったことがない為、本当の意味で悩みを共有した人もいなかった。だから本を買ったのだけど。

小さい頃、私は生意気な子供だった。ああいえばこういう、口が減らない子だった。さぞかし子育ては大変で、腹立つこともたくさんあったろうと思う。越えてはいけない壁を越えされてしまうような子どもだったのかもしれない。

そう言われたことがあると人に愚痴を零したら、「言った本人はそんなこともう忘れているよ」と返ってきたこともあった。「だから、君ももうそんなこと忘れなさい」という意味を含んで言ってくれたのだと思う。

母のことだから、忘れてしまっている可能性は高い。でも、言われた方はずっと覚えている。アドバイスは有り難いし、きっと忘れた方が身の為なんだろうけど、残念ながら今は忘れろと言われても無理なのだ。

産んだ母親が、自分のことを否定することが、子どもにとってどれだけショックなことであるか。回数まで覚えている。3回だ。根に持つ性格だから余計悪かったのかもしれない。

3回の内1回目はかなり幼い頃だ。何を言ってそう言われたのか覚えていない。小さいからって馬鹿にしてはいけない。その言葉に愕然としたのははっきり覚えているのだから。

2回目は小学生の時。学校から帰ってひょんな事から親と口喧嘩をして、売りことばに買いことば、段々ヒートアップ。私も口が減らないから、生意気なことを何か言ったんだろう。でもそれを言われた時は、もう何も言葉を返せなかった。 それで喧嘩も終わりだ。黙って部屋に戻って1人で泣いた。親からのフォローは一切何もない。それどころか夕飯になって親と顔を合わすといかに私が悪いかということを延々と怒られ、何度謝ってもそれは続く。謝っても、その言葉についてのフォローは何もない。フォローなんてあったこともない。

3回目は大学の時、それも20歳を越えてからだ。1番よく覚えている。きっかけなんてくだらない。大型就活イベントへ車で行っていいかどうかということで喧嘩した。そこから何故それを言われたのかは思い出せないが、とにかく言われた時は決定的だった。「やっぱり親は私のことは好きではないし、本気で邪魔だと思ってたんだな。よかった」とすら思った。安心して嫌いでいられると思えたからだ。

私は一回だって、「産まれてこなければよかったのに」に言い返したことはない。言い返したら怖いから。もし「じゃあ産まなければよかったのに」って一回でも言ってたらどうなったかなと思うことはある。多分ボコボコに叩かれて怒られて終わってただけで、何も変わらないような気がする。

許したい、許せないの間。

親にとって、「産まれてこなければよかった」という言葉は、もしかしたら口が減らない私を黙らせる一つの手段だったかもしれない。そんな軽いものだったのかもしれない。そしてそれを言わせてしまった私も、また悪いのかもしれない。それは今でもわからないが、確かめようとは思わない。確かめたくない。

だって「忘れた」と言われても傷つくし、「そんなこと気にしてるの」とか「その通りだよ」と言われても傷つくから。とにかく自分の傷をこれ以上抉りたくない。親との関係について現状を変えるのが怖い。少しでもマイナスな方向に針が振れたら、耐えられない。プラスなんかになるわけがない。いい方向に変わるわけがない。20年で一度も変わらなかったことが、大人になって私が何か話したところで、何も変わらないと思ってしまう。そして現状を変えようと思ったらもちろん話し合いをしなければならないわけだけど、その過程を思うだけで疲れるし、ひどく胃が痛む。

一度言ってしまった言葉は消えないと思う。取り消せない。ほんの少しだけ、私のことを「愛してる」とふざけ半分で言われたこともあった。でも私は「産まれてこなければよかったって、そう思ってるくせに」としか受け取れなかった。だって人は、かけらも思ってもないことは言葉に出てこないと思うから。実際その時私は邪魔だったんだと思う。私がいるせいで離婚できなくて、自分の人生を無茶苦茶にされた。そう思っていたんだと思う。でも、それを私に言ったところで、どうにもならないのも、知っていると思いたい。

絶縁はしない。私のこどもにとっては、かけがえのない祖母であり、母もよき祖母であろうといてくれる。そして義実家や、夫、何より私が尊敬している叔母もそれを望んではいないからだ。

じゃあどうしたらいいのか。私は謝ってほしいのか、愛していると言ってほしいのかと考えたこともある。そうではない。求めている言葉を言ってほしいのは、その時の、そう言われた時の私で、今の私じゃないからだ。だから、あとは自分の心の問題だ。自分の心さえなんとかなれば、今まで通りの関係を築ける。

こんな状況でも、それでも最近少しだけ変化があった。以前までの自分ならば、嫌い。憎いで終わっていたのが、許せないけど、許したい。やっぱり母に愛されたい。という素直な気持ちを自分で認められるようになった。

しかし、正しく与えられなかった愛情は、憧れを拗らせ、漫画にいるような理想の母親像を、私は母親に押し付けてしまっているように思う。泥沼化している。あくまでも、私が一方的に泥沼化させているのだけど。

母親だって、人間だ。

特に自分が母親になってよく思う。母親だって体調が悪かったり、気分が乗らない日だってある。様々なことがあって、こどもにさえうまく接することができない日だってある。そう、完璧な母親などいないのだから、私の願いも叶う事はないのだ。あくまでも母親は母親という1人の人間であって、理想の答えが返ってくるはずがないのに、それを期待してしまう自分がいる。今でも、心配してほしくて、母親らしいことをしてほしくてメールしてしまうことがある。そしてその期待を裏切られるたびに泣く。

いい大人になってまで、後何回私はこういうことで泣けばいいのだろう。

夫に愛され、新しい家庭を築いても、母の愛情を求めてしまう。当たり前に与えられなかった愛情というのは、呪いは、やはり思っている以上に根が深いようだ。

狭間で揺れ、苦しいのは、私は毒をまだ吐き出している最中で、まだ許すフェーズにまでは到達していないのだろうということにしたい。

最後に

同じことを書くようだけど、自分の家がちょっとでも変?と思った人は、やはり一刻も早く家を出ることをお勧めする。私は高校生の時に家が変だ、家を出たいと距離を置きつつ、結婚してやっと家を出てそして今に至るのだが、10年経っても解決できていない。できれば早く離れることに越したことはない。でなければ20歳を過ぎて、大人という歳になっても、親を理由にして20代という貴重な時間を犠牲にすることになる。それを社会は許してくれないし、自分の為にもならない。距離を置けば見えてくるものが本当にある。少し冷静になれるだけで、許せないものが、あれ?許せそう…?まで回復することだってある。冷静になっても、許さないと結論をつける人もいるかと思う。私はそれでいいと思う。自分の人生なのだから、それがどんな答えであれ、親に縛られず、自分で納得のできる答えを考えて、自分で答えを出す。それこそが私は1番大切だと思う。

最後に、お母さん。貴方は、様々なことがある中で子育てをして、さぞかし大変だったろう、それでも頑張って私を大人まで育て上げた。ひとりの人間として、とても尊敬しています。そして感謝もしています。

今は実家に帰るのも、連絡が来るのも胃が痛くなる。親としては無理だけど、将来はひとりの人間として、ちょっと歳をとった女性の友達として付き合えたらと思う。そしてなるべく早く私が次のフェーズに進んで、許せることを願いながら、この記事を締めくくりたいと思う。

突然だが、尿道結石になった。

日常 日記 病気 暮らし

尿道結石=男性、それも中年ぐらいの病気。

だと勝手に思っておりました。私26歳の女です。先日尿道結石になりました。だらだらと長いがまあどうかひとつ聞いてくれないだろうか。一応症状をまとめて、石予防対策、救急車マニュアルなるものも載せた。この為にブログ開設したから色々見辛い点もあるが、半分は自分用の備忘録なのでまあよしとしたい。私以外の人に同じ轍を踏んで欲しくないので、よかったら読んでほしいと思う。

先に言っておきますね、尿道結石は痛いぞ。

私のスペック

  • 年齢26歳
  • 性別は女
  • 子育て真っ最中(2人)

最後に健康診断を受けたのは3年前だが、健康診断は一度も異常はない。毎回Aランクの超健康優等生。1年前の妊娠〜出産の間に受けた血液検査でもなんら問題はなかったため、自分の健康には相当の自信があった。

まさか、まさか自分の身体に石があるなんてカケラも思ってもなかった。誰にでも起こりうるのだよ。それを肝に銘じてほしい。

それは、突然やってきた。

前触れなどない

この時私は自宅から離れ、親友の出産祝いの為に車で2時間ほど離れた実家に帰っていた。頼りにしている夫はいない。よくよく考えてみれば昼間、頻尿気味だった気もするが、いつもより水分を摂りすぎたかな?程度で、特に気になる症状はなかったように思える。前触れ?前兆?そんなものはなかった。ないのだ。

夜23時頃

こどもたちを寝かしつけ、そろそろ私も寝ようと横になるが、眠れない。先ほどトイレに行ったはずなのに、かなりの残尿感があってすぐまたトイレに行きたいと感じるほど。この時点で、ひどい時は30分に一回トイレに行っていた。少し横になって、またトイレに行って、少し横になって、またトイレに行く。繰り返しトイレへ行く内に排尿痛が伴うようになってきた。この時の私はさっきコーヒー飲んだせいかな?と呑気に構え、特に気にせずになんとか睡眠をとった。

深夜2時頃

こどもの泣き声で目を覚ます。起きると内臓が痛い。胃じゃないな、腸?なんだろう下のあたり。生理痛に近いような鈍痛。それも重めの、2日目の痛み。あとはトイレに駆け込みたくなるぐらいの激しい尿意。コーヒーのせいとかごまかせないほどの頻尿

痛いな、めっちゃトイレ行きたい。漏れる。

そう思いながらもなんとか授乳をすませ、トイレに駆け込む。排尿痛も先ほどよりもひどくなっていて、膀胱炎になってしまったのかな?と思い始める。ベットに横になるが、またすぐにトイレの繰り返し。確かに出してるはずなのに、ずっと出したい。出したい割には量が出てない。それなのに溜まってるような感覚。そうして何度かトイレに行ったり来たりを繰り返す内に、排尿痛も鋭さを増してくる。拭くのも痛いので、恐る恐る拭く。あまりにも痛いから拭いたティッシュを何気なく見ると、血が出ている。血尿だ。

おいまじか〜〜〜

明らかに血が混じってるやん〜これが血尿か〜まじか〜26歳で血尿て…病院行かなきゃならんよね…?内科?泌尿器科?まじか〜〜〜

まだ全然余裕ある。むしろこのまま症状が治れば血尿出してるのに病院という選択肢はなくなっていただろう。血尿よりも私は朝10時30分に予約した美容院へ行きたかった。血尿<<<<美容院。私の健康意識やばい。しかし非情にもトイレにいる時間のほうが長くなっていく。それどころか、いよいよこどもの面倒が儘ならないと判断した私は母を叩き起こした。

「頻尿で、血尿が出ている。なんかお腹も痛い。生理痛の重いやつ。」

「あんた、それ膀胱炎だねえ(笑)お母さんも血尿出たことあるわー」

膀胱炎かーーーーー恥ずかしーーー

「まあ、病院の時間までまだあるし、寝な」

いや、でもそう言われましても。

言われなくてももちろん寝たい。深夜2時やで。こどももまだ夜授乳していて、あと2回ぐらいは起きるかもしれない。そうなるとお昼きついからもちろん寝たい。けども痛くてすぐトイレ行きたすぎて眠れたもんじゃないのですよママン。膀胱炎やばいな舐めてたわきっつ。朝一で病院に行けば……美容院も間に合うかな。あー2人目出産してから9ヶ月も我慢してたのにこの仕打ちはなんだー辛いわー。まっ寝れないからとりあえず原稿書こ。

今考えても本当にバカだと思うが、本当にそんなことを思っていた私は、そのまま寝転がりながら、2時間近く原稿を書いていた。下からは相変わらず血尿を出し続けながら。

痛みのピークから診断まで

4時頃

血尿が進化する。ワンランク上の血尿。

凝血尿が出始めました。あと血尿も最初よりも明らかに量がおかしい。そもそも血尿っていうのは「おしっこに、血が混じる」状態なんです。血尿にも潜血尿と肉眼で確認できる肉眼的血尿があるのです。

オシッコに血が混じったら・・・血尿はからだの赤信号です : 高知医療センター

 目で見て明らかに血尿とわかった場合には、重大な病気が隠れている可能性があります。

もうバッチリ当てはまってるから早よ病院行けってあの時の私に教えてあげたい。もう2時くらいから肉眼的血尿だから。2時間経ってるから。そりゃ進化もするか。この時点で私の血尿はほぼ血。尿に血が混じるとかそういうレベルじゃない、血に尿が混じってる。逆転。

凝血尿はその名の通り、ドロッと固まった血が尿道から出るんすわ。女性なら伝わると思う、生理の時のドロッとかたまったアイツがあそこよりも狭い尿道から出るんだ。生理じゃないのが恐ろしい。むしろ生理であってほしかったー。何回かそう思って確認してみたけどやっぱり生理じゃない。

凝血尿が出る時の痛みたるや。悶絶。

私の場合ではあるが、それが何回も何回も出てきた。

わかりにくい例えで申し訳ないが、この時のお腹の痛み、出産に例えるならば子宮口6〜8cmのまだ産めないのかまだなのか〜って痛みがずっと続く。相当何か悪いことをしたんだな、反省し悔い改めますからこの痛みをどうにかしてください神よ〜とトイレでずっと祈る。何かがおかしいとさすがの私も気づき始め、母に報告。

「あのね、出産のときの子宮口が6〜8cmのどうにもならないお腹の痛みと、さっきよりもひどい血尿」

「ハハ、ひどい膀胱炎だね」

まじか膀胱炎半端ないな。

本気でそう思って、またトイレに戻った。

5時30分

痛みが最大のピークを迎えつつあり、トイレから一歩も出れなくなる。あと3時間(病院開院時間)もこの痛み我慢?無理無理。無理だって、頭おかしくなるって。ここで、やっと

いや、これ膀胱炎じゃなくね?と覚醒。

気付くや否やさっきまで余裕綽々で原稿書いたりしてたのに、途端に悲観的になる私、iPhoneのメモに「愛してるよ」と書いたメモを家族宛に残す。死にたい。そんな愛しの夫に連絡をとってみようと思うも、実家から自宅までは2時間の距離にある為呼んでも無理だわと諦める。そこでトイレからなんとか顔を出して

「もうほんと無理。病院まで待てない。あと2時間とか無理。というかほんとに何か産まれそうなんですけど」と母親に懇願するも「我慢しな」と一蹴。

そう言われましても〜(2回目)

いや貴方、もうこちとら産まれるってもんを我慢できますかってんの。

こうなったら自分でなんとかするしか。

自分で病院に行きたかったがもう既に運転できる状態じゃない。というかもう携帯もろくに弄れやしなくなっている。痛みで手が震えるやつ。我慢するしかないのか…というか私トイレで死んだらどうしよう…と唸りながら耐える。この時の痛みは子宮口10cm。出産ならもう産めるってんのになんだこいつは。というか産まれるって言ったけど何を産むんだ?でも産まれそう。産まれる。何かが産まれる。(実際石を産んでるんだけど)

この時の私はまさか自分が今まさに石を産んでいるなんて思いもしなかったが、あまりにも痛みが陣痛に近い為、無意識に産まれる産まれるを連呼。こんなこと言ってるから余裕があると思われてた。しかし当の本人はいたって真剣に「産まれる〜産まれる〜」と唸り喚いた。伝わらなかったけど。そんだけ痛い自覚があるのなら、何故救急車を呼ばなかったのか。救急車はもし本当に膀胱炎だったらって思ったら恥ずかしくて、出産の痛みを越えたら呼ぼうと我慢した。阿呆だと思う。そんなこんなで耐え忍ぶ内に、激しい痛みと共に大きめの凝血尿が出る。思い返せばそれから痛みが引いていった為、それが石だったように思うが、石だとは気付かなかった。

9時頃

本当にそこからは少しずつ余裕が出て、痛みが引いていった。受付時間になったので自分でタクシーを呼んで近くの泌尿器科へ駆け込む。しかしもうその頃にはトイレに何回も行ったり来たりしなくて済むようになっていた。病院でまず採尿してくださいと言われて採尿した尿がぶどうジュースみたいで、自分で出しといてえ?これ本当に尿?とドン引き。

結果は、尿道結石だろうとのこと。

なぜここが曖昧なのか、石出た自覚が自分にはない。音もなかった。もう痛みも引いた後だから、お医者さんもそう判断するしかないよね。

最初に書いたように健康診断ではいつもA 。健康には自信があった。自分に石があるなんて思ってもみなかった私は拍子抜け。念のため腎臓をエコーで見てもらう。なんか明らかに白いのあるんですけど〜

「もう一個あるねー」

やっぱり〜〜つ、つらい〜〜

絶望してお医者様に思わず泣きつく。

「やだ〜〜もう痛いのやだ〜」

「大丈夫小さいからそんなに痛くないと思う」

そんなに(ほんとかよ)

2個目が成長せずに早く出てくれと今でも願うばかり。念のため血液検査もしてもらった。最後にお医者さんに聞く。

「女性で、比較的若い人でも尿道結石って結構なるもんなんです?」

「うーんハハハ」

ハハハ。

診察室を出た私、呆然としつつ、会計を待つ間iPhoneのメモをそっと真っ先に消す。証拠隠滅ミッションコンプリート。痛くないからご機嫌ハイ状態になって病院から実家まで歩いて帰り、そのまま美容院に行った。もはや執念。しかしその後熱を出してまる1日寝込みながら育児をして授乳をした。しんどかった。改めて私の健康意識やばいなと反省した。

症状が良くなったからといって無理はするな。安静に。くれぐれも安静に。次の日血液検査の結果を聞きに行くが全て問題なし、健康。あんだけ血が出てたり熱が出たけど、腎臓悪くなってなくてよかったと心底思った。

こうして私のはじめて尿道結石はおしまい。

尿道結石、わたしのまとめ

主な症状

  • 残尿感
  • 頻尿
  • 血尿
  • 内臓の痛み

後から聞いてわかったこと

  • 悪寒

冬で、夜だから寒いのは当たり前だと思っていたが、ストーブの前に陣取り、上着着込んでも寒い寒いと言っていたらしい。

  • 腰痛あたりの違和感

しきりに腰あたりをさすっていたらしい。内臓が痛いと思っていたが、おそらく腎臓から石がおりている最中でそのため、腰付近わき腹あたりが痛くなりさすっていたと思われる。

(腎臓からおりて、膀胱に行くと下腹部あたりが痛いそうです)

救急車利用マニュアル

何故救急車を呼ばなかったのか。

色々理由はある。膀胱炎だったら恥ずかしいというのもあるが、実際のところ母がこどもたちの面倒を見てくれている為、付添人どうしようとかそんなことを考えていたりした。あとはそもそも私みたいな割と若くて元気な奴が救急車って呼んでいいものなのか、どれぐらいの痛さで呼んでいいものなの?しんどいけど我慢しろって言われたら一応まだ我慢できるけども……

しかし、お医者さんには言われた。

「よく救急車呼ばなかったね。僕は呼んだよ」

よ、呼んでいいんだ〜。

実は私は自分に自信がなく、何かと我慢するふしがある。もし次があってももしかしたら我慢してしまうかもしれない。それは避けたい。私以外の誰かが、第三者が決めたわかりやすい判断基準があればいいのにと、ぐぐってみたらあったよ救急車利用マニュアル。

 救急車利用マニュアル A guide for ambulance services :: 総務省消防庁

 f:id:shinyrockbook:20161207212017j:image 

判断に迷ったら、各都道府県ごとに救急相談窓口というのがあって、そこで救急車が必要かどうかを判断してくれるらしい。次から積極的に利用しようと思う。

今後気をつけるべきこと

なんせ石がもう一個あるんでね。

石予防については

  •  シュウ酸を摂りすぎない

これに尽きる。シュウ酸の多い代表はほうれん草。しかしそもそも、実は夫にも腎結石があって、我が家ではほうれん草はご法度なんで大丈夫。

尿道結石になる原因も色々調べたが、尿道結石になる人は生活習慣病予備軍とか肉中心の食生活ガー云々など散々書いてある。いやしかし、しかしそもそも私まだ26歳。自分で言うのもなんだけど尿道結石患者の中では若い。それにここ3年くらいは妊娠出産もあり、食生活にはそこそこでは気をつけていた。その前は実家で暮らしなんで、食生活じゃないと思われる。じゃあ?なんで?まあなるべくしてなったのかなあ。石と共に生きる人生。やだなあ。あんな痛いのはごめんなので、食生活ももちろんではあるが、それ以外で気をつける点を書く。

尿路結石を予防するために、こんなことにも心がけを! | おしっこチェックで健康コントロール | 健康生活のススメ | 日本ケミファ

  • 水分補給

実は普段全然水分を取らない。母乳もあげてて、夜中授乳して朝起きたら干からびそうなんてこともここ2年ぐらいざらにある。水分をしっかり取るように心がけようと思う。

  • カルシウムの摂取

不足している自覚はある。牛乳飲まない、乳製品食べない。ダメじゃん。こちらも意識して気をつけたいところだ。

  • 健康意識の改善

もう若くないの。ある程度我慢したら治ってる時は終わったの。異常を感じたらすぐ病院へGO。家族の健康は母親から。身体が資本なんですよ大事にしようね。

最後に

尿道結石になったことで、自他共に我慢強いという称号を得ることになったが全く喜ばしくない。我慢しすぎるのはよくない。非常によくない。石が出たからよかったものの、出なかったらトイレで倒れてたかもしれないと思うとぞっとする。どう考えてもそっちのが危ない。次こそは早めに症状に気付き、病院で少しでも楽にしてもらおうと思う。

長々と書いたが、本当に、誰にでも起こることなのです。これを読んでくれた方が、明らかに痛い時に、もしや…尿道結石…?と気付いて1人でも病院に駆け込んでくれたらと思う。

 

以上、私お疲れ様でした!