母の過干渉で私の頭がハゲた話

こんにちは、ひじきです。タイトル通りです。

今現在、月1でメンタルクリニックへ通っています。そこで処方された薬と、ヤーズ(低容量ピル)を服用中。先生のこのまま親とは距離を置くのがいいとの進言もあり、連絡も帰省もほぼしていません。なので、これで親と、私の心の問題は落ち着くかと思っていました。そんな矢先に

やってくれましたよ、母親が。

今回ばかりは胃も精神も限界だと思いました。というか縁を切ろうかというところまでいきました。この1ヶ月のことを愚痴らずにはいられない。書いて整理しなければ、もやもやが晴れないということで書きます。

事の始まりは、下の子どもが川崎病の疑いで入院することになったことからはじまる。

9月に入る少し前、下の子が熱を出した。子どもが熱を出すことは本当によくあることで、その時の症状も熱と、咳と鼻水。少し前に上の子が風邪を引いていたので、風邪が移ったのだろうと思っていた。しかしその熱が高熱で、解熱剤を使っても一向に引かず、38.5度以上の高熱が続いていた為、2日目あたりで病院につれていくも、この時点ではまあ風邪でしょう、という診断だった。事態が急変したのは高熱が続いて4日目のこと。朝、子どもの着替えをしている際に背中やお腹中心に発疹を発見。今までみたこともない発疹に驚き、病院に連れて行くと、先生から「おかあさん、川崎病くさいですよ」と言われる。決め手はBCG注射の跡が赤く腫れていたことだった

www.ncvc.go.jp

川崎病、という名前だけは知っていたが、詳しくどんな病気かわからないまま「つまり、入院ということでしょうか」と朧げに聞いた記憶がある。まさかこんなことになるのは思ってもなかったので、家に帰り、慌てて準備をはじめようとするも、丁度お昼時だったので、上の子がお腹をすかせ泣いて、慌ててご飯を買いに走り、高熱でぐったりしている下の子を抱きながらご飯を済ませて、なかなか進まない準備に途方にくれながら上の子のことをどうしよう、もう誰でもいい、誰か手伝って、助けてと思った。猫の手も借りたいというのはまさにこのことだなと。

そうして真っ先に私が連絡をとったのは夫で、次に義母だった。毒親だから、嫌いだからという理由で母親に連絡を取らなかったわけではなく、悩んで決めた結果がこうだった。家はどちらの実家とも離れた場所で暮らしてこり、母親は車で2時間の距離、義実家は電車で2時間30分の距離。加えて母親は日中仕事をしているため連絡がつきにくい。なので、ここは遠いが、義母に連絡を取ることにした。

入院する病院に着いた頃、お義母さんも来てくださり、夫も仕事場から駆けつけてくれて、ようやく少しだけ落ちつくことができ、母親に子供が入院したことを連絡。すると、すぐLINEの通知の嵐、着信の嵐

いやいやいや、病室だから…個室じゃないから…無理…

熱が下がらない下の子をなだめ、泣きながら帰った上の子に私も涙ぐみながら別れて、家と上の子のことは夫と、お義母さんに任せることにして、こうして私のトイレもろくに行けない付き添い入院生活スタートだから、母親からの電話にすぐに出る余裕はないわけ。やっと落ち着いて連絡がとれたのは、娘が夜寝てからのこと。

「何も知らなくて、役立たずでごめんね」「何もしてあげられなくて、ごめん」とメールが届き、なんだか嫌な予感がするなと思いながら就寝。

2日目も下の子の熱は一向によくならず、解熱剤を使ってもぐったり。川崎病の決め手が出ないまま、この日も抗生物質の点滴で様子を見ることとなった。下の子はしんどいのと、人見知りもあって、看護師さんにいっさい心開かず、また点滴のストレスもあって、私の髪の毛をひっぱり、ベットの柵を蹴りまくり、かわいそうでならなかった

そんな中母親来襲。

「アンタなぜ私を一番に呼ばなかったの?」

「!!!!???」

もうちょっと怒り気味の母親に圧倒される私。

私が上記の理由を答えると

「仕事じゃなかったのに、なんでよもう!」

「?????」

なぜ問い詰められなければならないのか、怒られなければいけないのかわからない。とりあえず心にもないごめんを言うと、今度は義母の前で、親戚まわりの最近の出来事、もとい親戚の悪口を話はじめた。

今、そんなこと猛烈にどうでもいい。

というかよくそんな恥ずかしいこと平然と話せるな。恥ずかしい気持ちを抑えながら流していると、更に上の子の七五三の話になった。

もうほんとどうでもいい~~~~

というか入院のことでこちとら頭いっぱいやねん。いっぱいにさせてくれ~他のこと考えさせんといて~~~娘の入院以外のことで既に疲れ気味になった2日目終了。

3日目。娘の川崎病っぽい症状といえば、発熱、目が少し充血している、発疹が出ている。この3つだけだった。6症状ある症状のうち5症状を満たせば川崎病と診断されるが、娘はそれが出なかった。(BCGの腫れは6症状のうちに含まないそうだ)しかしこの日から川崎病の治療であるγーグロブリン療法をすることになる。これまで2日間の抗生物質点滴に加えて、入院前、熱が出てから2日目あたりから抗生物質を含んだ薬を飲んでいることから、他の病気であったらまず治っていると思って間違いない。家の娘は、いわゆる「非定型の川崎病」ということで治療が開始された。

まれに点滴が効かない子や、アナフィラキシーショックが起こると説明を受けていたので、緊張しながら1日を過ごしたが、その治療を開始してから、次の日の朝にはすっかり熱が下がりきっていた。入院してからトイレにもなかなか行けないし、お風呂も入れないし、なかなか眠れない毎日だったが、そんな些細な苦労も疲れも吹き飛ばしてくれる嬉しさだった。

この日、母親に何気ない会話から自分が服用している薬について訪ねられる。別に隠すようなことではないので正直に答えると、「夫婦の問題だけど、ピルはやめなさい」と言われたので、「私はPMDDという病気だから、これは自分のために飲んでいるんだよ。ピルだけじゃない。ピルと抗うつ剤も飲んでるよ」とはっきり説明をした。したはずなのに、これが皮肉にも母親を暴走させるきっかけとなってしまった。これは後から書くことにする。

そしてもうこの日を境に下の子の熱は上がることはなく、次の日には点滴が取れて、病棟を散歩できるまでになり、私も自由にトイレに行ったり、一緒にシャワーを浴びることもできるようになった。

退院がすぐそこまで見えてきた。あともう少しというとこらで、少しずつ母親が暴走し始める。

「もしも子育てに疲れたときは、1週間ぐらい家に帰ってきなさい。あんたにも友達に会ったり、自分の好きなことをする時間が必要なのかも知れないから」

「たまにはあんたにも休みが必要なのかも」

突然来たLINEに、私は病室で涙が出るくらい怒り狂った。

かもってなんだ。かもって。

逆に休みが必要じゃない人なんているのか。そういう自分は必要じゃなかったのか?

過去私が尿路結石なったとき、残りの石があるうちはもう1人で実家帰ってくるなって言われたことがありましてね。(↓この時)

jijihijiki.hatenablog.com

そんなこと言われたので、誰にも頼らずに1人でやって、しんどいときだって頑張りましたよ、ええ。それなのに…私が薬を飲んでると知ったら途端に掌返しとは…ほほー、いい性格してらっしゃいますねぇ?

この人は、私のことをどれだけ馬鹿にしたら気が済むのだろう。

自分の理想のお母さんを演じるために、どれだけ私を無視したら気が済むんだろう。それがどれだけ私を傷つけているか、何にもわかっていない。母はそればかりか、こんなときばかり「自分の娘はなおのこと心配なの」と言ってくる。

こういうのはもうたくさん。うんざりなんだ。

相手にしているのが馬鹿らしい。そう思い、波立った心をすぐに戻して、もうすぐ退院だ。そうしたらまた距離が離れるから、と自分に言い聞かせて、返事は何もしなかった。

そうして7日目、やっと退院の日がやってきた。

やっとやっと退院できる。やっと母親としばらくまた顔を合わせずに済む。そう思っていたところに母親から思わぬ話をもらった。

「親戚の人が免許を返納したそうなんだけど、家が車をもらう予定だったんだけど、あなたのところのほうが使いそうだし、車いる?」

家は車は一台しか所有しておらず、これから病院通いをするにあたって、願ったり叶ったりだった。しかしこの場では即返事をせずに、夫と相談してから改めて連絡すると伝えた上で、私は家に戻った。

夫と相談した上で、車をもらおうということになり、まず先に欲しがっていた母親に了承を得るためLINEするが、だんだんと話がこじれ始め、返事をしなくとも一方的なLINE通知が続いた。

「維持費は大丈夫なのか」

「下の子が病気にならなかったら、譲る気はなかった」

「用事がなければ来ないし、訪ねなければ会えないし」

一家の当主として夫くんを不安に思う」

で?????

結局何が言いたいの????

言ってることがわからない。というかなんで夫の悪口を言われなきゃならないの??

ていうかお母さん別に車のオーナーじゃないのに車のオーナーを差し置いて何揉めちゃってんの??というかそもそもなんでこんな話になったの??

本当に面倒くさい。すごくすごく面倒くさい。これ以上関わりたくない。

そう思った私は、母親からのメールは無視し、次の日オーナーに直接電話をして、事情を説明し、この件は手を引くと説明させてもらった。

次の日着信とメールが来たが全て無視した。

というかこの件でLINEの通知が怖くなり、通知が来るたびに胃が痛くなってしまって、ほとんど見れなかったに近い。

でも、これで全て終わった……そう思っていた。その3日後。

お義母さんに、実はこんなことがあって…って話をすると、なんと「なるほどーそういうことね、その後なのかな?家に電話きたのー」と話し出した

私「……誰から?」

お義母さん「お母さんから」

目の前がまっっっ白になって足元がふらついた。

母親が義実家に電話していた。しかも内容は、親子喧嘩をしたこと、おたくの息子さん(夫)の車趣味、要するに夫の金遣いについて。

あろうことか、夫の悪口を義母に言いつけていた。

アンタ一体何をしているんだ…

何をしているんだ!!!!?

こんなことがあれば普通、義母は、私が普段から不平不満を言っていると思われても仕方ない。義実家の方には、母親がこういう人で、家族はこんな感じと伝えてあるから本当によかったものの、頭を下げることしかできなかった。

「母親が本当にすみませんでした」

「母親に夫さんの愚痴を漏らしたことは一度もありませんというか連絡していません」

お義母さんに言い訳がましく謝って、心から情けなく、惨めに思った私のことなど、少しも考えていないからできたことなのだろう。

今回のことで、嫌と言うほどわかってしまった。母親は自分のことしか考えていない。私のことなど、まるで見ていない。考えてもいない。

ああ、この人嫌いだな。

他人だったら、関係を切ればいい話。

でも身内だから切れない。向こうはまさか自分が原因だとは思っていない。関係は良好であると思ってる。加えて、1つ言い返せば何倍にもなって返ってくるおまけつき。だから、私は放っておく、という選択肢しか取れない。

向こうは一切我慢していないのに、なんで私だけが、我慢しなきゃいけないの。なんで私だけが傷つかなきゃならないの。

そんなことを悩んでいたら頭も禿げたし、足に掻き傷がいっぱい増えてしまったし、お義母さんに心配をかけてしまったし、回復に2週間以上かかったし。踏んだり蹴ったりな1ヶ月でした。

親と関わるとろくなことが起きないので、なるべく関わらないのがやはり吉なようです。少しよかったことは、母のことを半信半疑だと思っていた義実家側でしたが、今回のことで信じてくれたことぐらいかな…

未だになんで下の子が入院したことで、こんな爪痕を残すことになってしまったのか、本当に意味がわからないよ!!

おしまい!

あとがき

 ↑という記事を10月半ばに怒り心頭で書き殴り、いやいや落ち着けと一回公開することを踏みとどまりましたが、最近宛先不明の絵本が届き、それが母親からだとわかりまして、公開することにしました。fxxk

聞くところによれば、母親は私が薬を飲んでいるという事実が大変ショックだったらしく、何をどう勘違いしたのか、今現在は私を育児ノイローゼだと思い込んでいるらしい。育児ノイローゼ=夫が協力しないから=夫くんが悪いの謎の方程式ができあがってしまったようです。そうして育児ノイローゼの人の為の?大人の絵本が届きましたとさ。
というか私PMDDって言ったよね!?育児ノイローゼじゃないよ!!?

日本語通じてねえええええええ

性被害者は何も悪くない。加害者が100%悪い。

 

ツイッターでこれが流れてきました。

いやいやいや。
朝からふざけんなよ、と。

先に書きます、わたしは大学生の頃バイト先の上司にレイプされました。
※今回はレイプされて、セカンドレイプを受けた話です。

 

なぜ抵抗しなかったのかって?
馬鹿野郎、できなかったんだよ。
お前、熊相手に抵抗できるかって。
熊は言い過ぎ?じゃあゴリラだ。
一回めっちゃ力強いゴリラに両腕押さえつけられてみなって。死ぬかもって、走馬灯見るからな。

力の差もあって、もしかしたら死ぬかもって思って、ただただ恐怖と裏切られた絶望でいっぱいだったあの時。あの時の私に言ってあげたい。貴方は何も悪くない。

 

事のあらまし。レイプにあった

※顔見知りによるものなので、正確にはデートレイプです。

大学生の頃、少し特殊なアルバイトをしていた。個人訪問的なアルバイトで、車で地域を回っていた。はじめたきっかけもその上司に、直接私もやってみたいと言ってみたら、特別にいいよと言ってもらってはじめたものだった。
「女性の志願者は珍しい。勉強だと思って頑張って」
なんて素晴らしい人なのだろうと思って、期待を裏切らないよう頑張ろうと、あの頃は気合いが入っていた。

アルバイトの服装は私服だった。その上司に服装を尋ねたところスーツでなくていいと言われ、母と相談して失礼のない服装を選び、夏休みはほぼ毎日働いていた。
そうしてアルバイトをはじめて2ヶ月。すっかり仕事にも人間関係にも慣れ、その上司とも打ち解けはじめた頃だった。
上司のことは素直に尊敬していた。他の仕事仲間からも尊敬され、頼りにされる、そんな上司だった。
ふとした会話から私が
「◯◯さんって頼りになるお父さんみたいで、素敵ですよね」と言った翌日、私はレイプされた。

何をどう勘違いさせてしまったのか、何が引き金になったのか、未だにわからない。
抵抗は全くできなかった。終わった後、呆然とする私に「いずれこうなるのだから」と、まるで仕方のないことのように軽く言い放ったことを一生忘れることはできないだろう。
平然と「また明日ね」と言った上司が気持ち悪かった。明日もまた会うのが怖かった。そこでアルバイトを辞めていればよかったのに、辞めなかった。アルバイト自体は好きで、辞めたいと思ったことは一度もなかったから。仕事を任され、そこそこ信頼されている。その成果を、その信頼を裏切るのが嫌だった。
次の日から毎日セクハラとモラハラ三昧。交際を迫られ、暇があれば口説かれ、2人きりになるように仕向けられ、「セックスなんてものは穴に棒をいれるだけの作業。減るものじゃないのだから気にすることはない」と言われ、「私が悪い」と言われ、私がなかなか靡かないと、既婚者である癖に「俺と付き合わないから」と仕事で何かあってもわざと無視をしたり、困らせるようなことをしてきた。

最後のほうは、泣きつきや暴言もひどく「俺と付き合わないなら明日からスーツを着てきて」と言ってきた。自分が、私服でいいと最初に言ってきたのにだ。その時はもう乾いた笑いしか出なかった「女性の志願者は〜」というのは建前で、おそらく最初から私は目をつけられていたのだろうと今では思っている。業務用の携帯にも、毎日のようにセクハラのメールが届く。アルバイトに行ってもセクハラとモラハラを受ける。そんな地獄のような生活が2ヶ月くらい続いた。

 

セカンドレイプ

それでも嫌だと言い続けたある日、「なんで俺のこと好きにならねえんだよ」と逆ギレした挙句、壁に体を叩きつけられたことがあった。この件でさすがにもう限界だと思った頃にはもうボロボロだった。私は苦渋の末、親に助けを乞うことにした。
事情を話すと親は「やっぱりね」と言い出した。
「私は薄々危ないと思ってたのよね」「誤解させたあんたも悪いのだから、そんな恥ずかしいこと、誰にも言うんじゃないよ」
加えて相談していたので、服装についても知っていたはずなのに「足が出る格好していくから」とも言われた。
身近な人物に気持ちを受け止めてもらえなかった私は、自分が悪いんだという思いにずっと苦しめられることになる。
これがセカンドレイプだ。
レイプもさることながら、セカンドレイプというその名の通り、再びレイプされたと同じくらい、被害者は深い傷を負うのだ。


レイプでさえ「被害者が悪い」と言われる世の中なので、顔見知りによるデートレイプは、もっと風当たりが強かったりする。
社会的に尊敬され、信頼の厚いその上司に「私が悪い」と刷り込まれ続けてきたせいで、私が悪いのだとずっと思っていた。
でもそうじゃない。声を大にしていいたい。

被害者は何も悪くない。加害者が100%悪い。

こちらの「被害者に言ってはいけない言葉」に対して、じゃあ何を言ったらいいのかという意見が多数みられたが「それは大変だったね」とそれだけでいいのだ。
否定する人は、むしろなんだってそんなに否定するのだろうか。強盗にあったとして、お前が悪いって言われたらどう思うのだろう。
レイプだけそう言うような人は、自分が、我慢できない人ですって自己紹介してるしてるようなものだからね???
繰り返し言いますが、被害者は何も悪くない。加害者が100%悪いのです。


もし、被害にあった人がいて、苦しんでる人がいたらこの本をオススメしたい。

 

デートレイプってなに?―知りあいからの性的暴力 (10代のセルフケア)

デートレイプってなに?―知りあいからの性的暴力 (10代のセルフケア)

 


性被害にあったら
というこのページがわかりやすく書かれているので載せる。

被害に遭ってからすぐ

私はまず病院でもいいと思う。

私は警察へは、病院へは恥だと、傷になると行けなかった。身体の傷や、その後の心のケアも含め病院へ行くべきだと思う。

 

思い出すだけでも気持ち悪いけど、ツイッターに流れてきた女性も悪いの声にいてもたってもいられなかった。
馬鹿野郎。悪いわけあるか。

せーの
性被害者は何も悪くない。加害者が100%悪い。

 

自分の母親にさえ愛されないとしたら、いったいだれがわたしを愛してくれるというの

ゲイルは言う。「自分の母親にさえ愛されないとしたら、いったいだれがわたしを愛してくれるというの?」

これは 後に紹介する「毒になる母 自己愛マザーに苦しむ子ども」という本に出てくる、毒親に育てられていたゲイルという女性の悲痛な叫び。

これは今の私そのものを表していると言ってもいい。

※前々回より続く毒親関係の記事です。

jijihijiki.hatenablog.com
jijihijiki.hatenablog.com

だらだらと書き連ねているが、一言で言うならば私は母に愛されなかった。という思いをずっと抱えている。

ここ2ヶ月私のメンタルは近年稀に見る低空飛行状態だった。朝起きて夜寝るまでずっと死にたい気持ちがこびりついて離れない。無気力で動けない。どうにかしたくて、いのちの電話インターネット版に相談したり、生理前の落ち込みようが特にひどいので婦人科へ行ったり(結果PMDD)薬を飲んでも根本の死にたさは改善しないので、すがるような気持ちで本を読んだりしていた。

その時に出会った2冊の本が私を"肯定"してくれて、少しだけ気持ちが回復へと向かいはじめた。長年、苦しめられてた思いにやっと一筋の光が射した、今そんな気がしている。

今回はその中の1冊「毒になる母 自己愛マザーに苦しむ子供」を中心に、私が生きづらさを感じてしまう理由は何故かを書いていこうと思う。

 

毒になる母 自己愛マザーに苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる母 自己愛マザーに苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

これまで、様々な毒親関連本を読んできた。読んできた本は、どちらかというと共感するものが多かったように思うが、この本は今の私の状態を"肯定"し、それを"回復"へと導いてくれる新しいものだった。

今まで人から言われ続けてきた「それでも親なのだから」「親孝行しないと」「そんなこと忘れてしまえ」「育ててくれたのだから感謝しないと」という言葉は極端な話であるが"否定"であると私は思う。

誤解のないように書きたいと思うが、まず親に対して最低限の感謝の気持ちはある、そしてもう一つ私はこの言葉に憤っているわけじゃないということ。これらの言葉は一般的にそう言っておくことが普通だと私も思う。母親や父親が、子どものことを愛もなく育てたわけがない。お腹を痛めて産んだこどもなのだから。それが一般的な考えで、常識であり、倫理観であると思う。何よりそう思うことのできる貴方は、自分のことを愛してくれる家族に育てられたのだと思う。

しかし現に私は、生きづらい、死にたい、親に愛された記憶がないと感じている。そんな私にとってその言葉は"否定"であり、言われると、そういう風に考えてはいけないのだ、と思いを隠し、考えないフリをする。抱えた傷は癒えないままに。

母は昔私に言った、「あんたも親になったらきっと私の気持ちがわかるよ。まぁなれたら、の話だけど」と。

子どもの頃は、素直にそうなんだと思っていた。私はまだ子どもだから親の気持ちがわからない。だから子どもを産めば親の気持ちがわかるのだろうと。だから私が不細工と言われ続けることや、何をしても褒められないこと、比較されいかに私がダメであるか言われ続けてきたことなど、それら全て自分の所為にして、こうして子どもを産むまで、言い返すこともなくその言葉を受け止め、我慢してきた。

しかし蓋を開けてみれば、私は親の気持ちがさっぱりわからなかった。本当に私が不細工であることは置くとしても、少なくとも我が子に「産まれてこなければよかった」と言ってしまう親の気持ちがやっぱりわからない。そう思えば思うほど、私はまた母との関係で悩むのだ。

忘れたいのに、忘れることができない。こんな思いを消したくても、やり方がわからない。人に相談しても、忘れろと、それでも親は愛しているから許せと人は言う。

……もう、私はどうしたらいいの。

これが2か月前の私の心境。

タイトルの、冒頭のゲイルの台詞に戻ろうと思う。

「自分の母親にさえ愛されないとしたら、いったいだれが私を愛してくれるというの」

何故これが私を表しているかと言えば、胸が苦しくなるほどに、私はこの気持ちがわかってしまうからだ。

ありのままの自分でいては、私は母に愛されなかった

みんなが普通に、産まれたなら与えられるはずであった、母の愛をもらえなかった私は、きっとダメな人間に違いない、愛される価値のない人間だと、こう思うのだ。

幼少期に母親に承認されないと、娘は自分の存在意義が確認できず、「努力しても無駄だ」と学んでしまう。一生懸命、母親と心を通い合わせようとしてそれがかなわないと、母親を喜ばせられない原因は自分にあるのでは、と考える。「自分は愛されるに値しない人間だ」と。

それどころか、産まれてこなければよかったのだとはっきり言われた私は、もっといらない、価値のないマイナスの人間なのだろう。だから私は必死に努力する。母に褒められたい、認められたい。その一心で。母に怒られる自分はダメだ、母の言う通りにできない自分は嫌いだ。幾度も自分を変えようとしたけど、何をどう変えたら愛してくれるのか、結局はわからなかった。何をしたって、褒められたことがないから。何をしても認められない私は、母親にすら愛されない私は、他人からも愛されるわけがない。私が母親から愛されないのは、自分が他の子より悪い子で、価値がなくて、グズで、醜いから、仕方ないのだ。誰もきっと、こんな私を愛してくれるわけがない。そう思って生きていくしかなかった。

愛していると言われたい、私という存在を認めてほしい……産まれてきてくれてよかったと、そう言われたい。その欲求を満たすためだけに私は努力して、行動していただけの人生だった。 

紹介した本には他にも私が今抱える問題を代弁してくれる声が多くあった。

カイリーは娘を産んで、過去の思い出がよみがえった。「母とは心が通いあわなかった。母はわたしに見向きもしなかった。自分が受け取れなかったものを娘には、ちゃんと与えたいの。 

わたし、自分に自信がもてません。つねに肩越しに母にのぞかれているような気がして。些細な失敗をしただけで批判されるんじゃないかと不安になるし、なにをするにも『母ならどうするだろう?』って考えてしまいます。

どれもこれも私が今悩んでしまうことがこの本には載っていた。

今更なぜ母との関係をこんなに悩むのか、もう実家から離れて3年も経つというのに。これではいつまでも、親離れできない子どものようではないかと情けなく思っていた。でもそれは違った。

あなたは悩む。自分も母と同じように、わが子を「精神的な孤児」にしてしまうのではないか。子どもを損なってしまうのではないか。はたして自分に子どもを育てる資格があるのだろうか、と

私は母という立場になったからこそ、自分の子どもとの関わりを通して、自分の母親との関係に悩んでしまうのだ。

‪自分と同じ思いをさせまいと思うが故に私は悩む。私と違って、子どもたちにはちゃんと、自分を信じて、自分を愛して、自分を知ることができる人間になってほしい。そう思っているから。しかし、それができるのは、自分もそれができる母親だけなのだ。だから私は自分を変えなければならない。そういう人間になってほしいなら、自分がそうならなければならない。

自分を、取り戻さなければならない。

今はまだ、そのほんのスタート地点だ。自分を取り戻す過程で、まず避けては通れないことがある。それは、

母親は私を愛してはいなかった。という事実を理解すること。

母は母なりに私を愛していたのかもしれない。しかしその愛は世間体>>>>>>娘。これだけは間違いない。

自己愛人間は愛情と共感が示せない。感情が薄っぺらで、世間体が何より大事だ。
あなたの母親にこのような特徴が見られたら、あなたは「自分が母親から理解されない」と感じているかもしれない。あなたの母親が娘の本当の姿を理解しようとしないからだ。娘のほうは幼少期から母親の欲求や感情を応えることが自分の役目と思い込んできた。そうでなければ、自分が母親にとって重要な存在じゃなくなるからだ。

母は、愛情や共感を示す能力に欠けている。そして母は、自分が受けた様々な傷を、夫婦間の問題を、けして自分では認めず、それを娘に投影する形で発散していた。

自己愛マザーに夫との問題を吹き込まれた娘がどれほど心の痛みを覚えるものか、母親にはまるで自覚がない。娘は、自分が父親と母親の特徴を半分ずつ受け継いでいることをわかっているため、父親にたいする批判を自分への批判のように受け止める。母親が大人の問題を吹き込むと、娘は両親とのあいだで健全な依存関係が結べなくなり、不安と孤独を感じる。親の問題をどうにもできないために罪悪感まで抱え込む。

それは親としてはあまりにも不適切な行為だ。そうした結果、私は歪んで育ってしまった。

母は、一生変わらない。

回復のためには事実を直視しなければならない。母親が慈しんでくれる日はこないし、母親が変わるという願望も実現しない。

だからいくら待っても、一生母は私を愛してはくれない。私はそれを受け入れて、母親に対する願望を捨て、諦めるしかないということ。

どうしてもやりきれない思いや、怒りが込み上げてくるときもあるが、もう我慢なんてしない。もう私は親の不都合を自分の所為にしたりしない。

間違いなく、この生きづらさは親が原因である。

自信がなくて、価値がないと感じるのも、劣等感の塊なのも、努力したって自分を認められないのも、生きているだけで申し訳なく感じるのも、全てだ。

母親の共感や愛情が得られないため、心は通いあわず、娘の欠落感はぬぐえない。母親に愛されたいという娘の欲求は、大人になっても満たされないままになってしまう 

……しかし、仕方ないことなのだ。なぜなら母親の母親もまた母親のことを愛してはいなかったのだから。正しい愛を知るものが、少なくとも私の周りにはいない。祖母が、つまり母の母が自己愛性パーソナリティ障害だと聞いた時、私はこれを確信してしまった。

生きづらさが親の所為だと認めることができたら、次は受けた傷を癒す為に、悲嘆のプロセスを辿っていこう。

このプロセスは、簡単に思い出したくもないことを思い出し、その時の自分の感情をありのままに認識し直す作業だったりする。なので傷口に塩を塗るようなことをやる。しかし正しくこのプロセスを終えることができれば、今までのことが嘘だったかのように気にならなくなるだろう。

自然な悲嘆のプロセスとは「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の5段階。

しかし、この作者曰く、私たちは親から育てられる中ですでに「否認」と「取引」をずいぶん経験しているのだという。そうした作者の考える悲嘆のプロセスはこうだった。

  1. 「受容」―「自分の母親には愛情と共感を与える能力が欠けている」という事実を受け入れる。
  2. 「否認」―子ども時代、わたしたちは「母親が人を愛せず共感も示せない」という事実を否認することで生き延びてきた。子どもは無条件に愛されたいと望むものだが、わたしたちは生き延びるために、その事実を否認するしかなかった
  3. 「取引」―わたしたちは、心のなかでも現実の世界でも母親と取引してきた。母親がいつか変わり、ちがう態度で接してくれることを願い、希望にすがって生きてきた。そして長年、母親の愛情と承認を得ようと努力してきた。
  4. 「怒り」―情緒的な欲求に応えてもらえず無視されて育つために、わたしたちの人生が大きな影響を受けたことに強い憤りを覚える。そのような影響を許し、根づかせてしまった自分にも母親にも猛烈な怒りがわく。
  5. 抑うつ―理想の母親像と、理想の母親をもつという望みを棄てることに深い悲しみを覚える。愛情深い母親は得られない。自分が孤児か見放された子どものように感じる。

癒される為には、この5段階を行ったり来たりしなければならない。

再度言う、忘れることはできない。こうして思い出して、傷を癒やしていかなければならない。忘れることができない。というか、忘れるということは、癒されてはじめて、考えなくなる、忘れるということができると思うのだ。

過去を忘れて、今を生きろという言葉はそのプロセスの重要性を理解できないから

忘れろ、とよく言われるし、実際そうするのが手っ取り早いと思うかもしれない。傷を負ったまま、忘れろというのは、臭いものに蓋をすることと私は同じだと思う。悲しみから解放される為には、悲しみに向き合うほかない。そうして向き合ってはじめて、傷は癒される。でもその道のりはけして容易ではない。言い切れるのは身をもって一度経験しているからだ。

昔、自ら自然とこのプロセスを辿ったことがある。その時はある出来事1つだった。そのたった1つの痛みでさえも、怒りや悲しみが湧かなくなるまでに3年はかかった。その時も本だった。私の気持ちを代弁してくれる本に、悔しさや苦しみをぶつけて思う存分泣いた。そうして思い出さなくなった。それでもまだ思い出す時だってある。それなのに今度は20年だ。20年分の痛みを1つ1つ辿らなければならない。気の遠くなる作業だし、何よりも根気が必要だ。

あなたの目標は理解し、責任を持ち、癒すことだ
責任を持つとは、「どんなことが起きても、自分の感情や、行動の責任は自分にある」という立場にたつこと。

どれだけ今の自分が抱える傷や、それに伴う感情が親の所為だといっても、自分の行動は自分の責任が伴っている。それは当たり前のことだ。だからこのプロセスの中で、親を殺したいほど憎い気持ちに駆られて、行動を起こしてしまったとしても、それは親の責任ではない、私の責任だ。私には憎しみに駆られるままに行動するという選択もあるが、それを癒すという選択肢だってあるのだ。それを選ぶのは紛れもなく私だ。だから私が選択して起こした行動は、誰のせいでもない、私が、責任を持つということ。それを十分に理解しながら進めていく必要がある。

感情を行動で示すのはやめ、文字で書きあらわす。自分を破壊し、周囲を傷つける行動は避け感情とじっくり向き合う

書きながら気持ちを静かに整理する術を、私は身に着け、思った素直な感情をブログや、紙に書き記し、淡々と整理する。そうしていく内に、少しずつ怒りも収まってくるのだろう。

しかし、そうしている内に怒りや憎しみが薄れても、多分もう、親を許せることはないのだと思う。いつかは癒やされれば許せるのだと思っていた。でももうダメだ。思い出せば思い出すほど理不尽な暴力や、罵倒に怒りが込み上げる。

自分の行為に責任を取る者だけを赦せばいい。相手があなたを傷つけたことを認め、心から悔いたときだけ赦すのだ

一生そんなときはやってこない。だから、私は母親から愛される願望を捨てなければならない。今後一切。 捨てれば、愛されたい思いからくる憎しみも怒りも、もう湧くことはないのだから。

こうして焦って、本を読んだり、苦しい思いを自らしていると、自分の首を自分で締めている気になることもある。それでも早く変わりたいのは怖いからだ。

はじめて「あんたなんて産まれなければよかった」と言われたのは2歳か3歳そこらのことだった。私ははっきりと覚えている。そして自分のこどもが、その時の私と同じ年齢に近づいている。それは嬉しいことのはずなのに、怖く思ってしまう自分がいる。私は母みたいになっていないか、そんなことを口走らないか。私は母のこどもだから、母みたいになってもおかしくない。嬉しさより恐怖が勝ってしまうのだ。

私は子どもが、まだお腹にいる時から、絶対に私のような思いだけはさせない、と幾度となく誓った。しかしこれは同時に、もし母のようになったら、という恐怖にいつまでも苛まれるはじまりでもあったのだ。

母親から受け継いだ負の遺産を我が子に伝えたい、と願う親はいない。だが、ポジティブな母親の役割モデルを知らないあなたにとって、負の連鎖を断ち切ることはむずかしい。

子育てに関しては、母親みたいなことをしなければ大丈夫だ。と思っていた。だから母親と全く逆のことをしよう、と。しかしそれは間違いであった。以下を読んでもらえばわかる。

母親のようになりたくない一心で、正反対に行動する娘は多い。だがそうすることで、結局は、あなたが必死で避けようとしている力学をつくりだしてしまう危険性が高い。

毒親の正反対も、また毒親なのだ。放置する親の正反対を目指せば、過干渉する親になってしまうということだ。そしてこれを防ぐカギは「中間地帯」にあるのだという。

健全な自己と健全な母親業にとって一番大切な資質は「人を愛する能力」と「共感を示せる能力」

この2つを最低限心に留めておけば、私の価値観に基づいた母親になることができるのではないか。共感こそが愛情の礎だ。私は子育てに対して少し思いつめすぎていたように思う。そのことばかりに必死になりすぎて、子どもたちにとってそれが最善かどうか、は二の次になっていた。反省したい。

こんなに素晴らしい本であるが、一つだけ相容れないところがある。それは"回復した暁には貴方も1人の人間として親を愛することができるだろう"という点。

許さなくてもいい、距離を取る、自分を母親ではなく1人の人間として自覚する、被害者意識から抜け出す、まではわかる。しかしそこから愛することができるか、と言われれば答えはNOだ。さすがはあちらさん的な考えというか、右の頬を殴られたら左の頬も差し出せと、そう言われているような感覚を覚えた。私は自分に何も害のない人に愛を与えることはできても、既に攻撃や、暴言を吐かれた人に同じように愛を与えることはできない。相手に対して無になるのが一番いいと私は思う。無、とは一切何の感情も相手に湧かないこと。愛も、ポジティブな感情も、今は抱いてしまう怒りや悲しみなどのマイナスな感情でさえも、何の感情も湧かない、それが無だ。私は、人と比べて経験しなくてもよかったであろう苦労を、それを経験したおかげて今の私があると感謝できるほど、できた人間じゃない。産んでくれたおかげて、こうして幸せに人生を送れている今に感謝こそすれど、やはり私は親を愛することなど私はできない。

……さて、ここまで割と本のことや、最近の心境を割り切ってまとめたつもりではいるが、正直に言えばまだまだ割り切れてない。激しい怒りが最近やっと落ち着いたところで、やりきれない思いは未だ残ったままだ。まだおそらく「抑うつ」状態にいるんだと思う。

実は自分がだめなのではない、と思うことは私にとって難しい。

変なことを言うと、自分がだめだと思ったほうが楽だ。なんでもかんでも自分の所為にしたら、自分が努力したらいいだけの話で済むじゃないか。まあその蓄積が今の自己肯定感の低さに繋がっているのだけど。しかしこれが私の所為じゃないとしたら、私に何も悪いところがないとしたら、私は一体何をしたらいいのか。

そこには怒りと、悲しさと虚しさがあるだけなのだ。あとは時間が傷を癒してくれる、それを待つだけ。何も努力することができない。

……私はただ、普通でよかった。ただ、母や父に気を使わず、ありのままで話をしてみたかった。今の、私のこどもたちみたいに、私や夫が普通に会話して笑って……それだけでよかった。多くを望んだ覚えなんてない。でもそれさえも叶わない。この辛さを認めて、自分を取り戻すなんてこと、自分1人じゃできやしない。きっと子どもが産まれなかったら、子どもの為じゃなかったら、やろうなんて思っていなかっただろう。

‪子どもたちが、自分を信じて、自分を愛して、自分を知ることができる、そんな人間になってほしい。その一心で、私は今後も自分を見つめ直し続ける。たとえ間違ったことをしたとしても、きちんも子どもと向き合って、謝れて、話ができるそんな母親になりたいと心から思いながら、記事を締めくくろうと思う。

 

関連

お世話になった本

今回のメインの「毒になる母 自己愛マザーに育てられた子ども」の他にももう1冊。

共感することが多いと感じた書籍は、前回、全然回の記事で紹介しているので省略する。

希死念慮という言葉を知った時にたどり着いたとあるカウンセラーの「親孝行」についての考えwww.koho-counsel.com

子は親に似る? 大阪北堀江のカウンセリング・スペース・幸朋

希死念慮・自殺念慮|大阪堀江 幸朋カウンセリングルーム
「毒になる母 自己愛マザーに苦しめられる子ども」を知ったきっかけとなったブログ

haguki-lovey.hatenablog.com

お世話になったいのちの電話インターネット相談

自分は好きで死にたいと思っているのではない、変わりたいと思っている。子どもが産まれたからこそ、母との関係に悩んでいるんだ、という思いに気付かせてもらった。感謝

www.inochinodenwa.org

知ってほしい心の内と、その葛藤と

大好きな叔母や、お義母さんのような人間になりたかった。

※今回は前回より更に愚痴増しです

実際は、どうだろう。あれだけ嫌だった母に似てきてしまっている自分がいる気がしてならない。絶対に母のようにはならないと心に決めていたはずのに。母に似てしまう自分が嫌いだから、こどもに同じ思いをさせる前に消えてなくなりたいという思いも捨てられない。こどもにとって私は悪でしかないのではないかと、日々そんなことを思ってしまう。

話は変わるが、前回の記事↓

産まれてこなければよかった、という呪い。 - てけとうじんせいjijihijiki.hatenablog.com

これを勢いよく書いたはいいのだけど、離れている母に見られたらどうしよう、怒られるのではと、あれだけ書いておきながら今更びくびくしている。

またそれとは別のところで、母とはおそらく今険悪になっている。尿道結石の件があって、私はもう1人では実家に帰ってくるなと言われているのだが、家族を連れて帰るとも言い出せないほど、今険悪だと思う。実家があるところには当然私の友達がいて、私が大好きな叔母がいる。帰りたいなと思うこともある。でも1人では帰れない。帰りたいと思うときに帰れないのはなかなか辛い。そして実家に帰れないということは、大好きな叔母には会えなくなるにも等しい。私が謝れば解決する。しれっと今度帰っていい?って素知らぬふりで聞けばいいだけの話なのかもしれない、色々面倒くさい。

そんなことを色々と考えれば考えるほど苦しくなって、ついには眠れないほど胃が痛くなり、涙が勝手に溢れて止まらなくなってしまった、そんな夜があった。

家を離れて今現在の方がストレスがダイレクトに体調にあらわれるようになってしまった。これいかに。もちろん実家にいる時の方が断然ハイストレスなわけだが、その時は何も体調面にあらわれなかったのは、私がド健康だったからか、それとも今更になってツケがきているのか、それはわからない。

そんないつものようにメンがヘラっている私を夫は少しもまたか…って顔をせず、少し母のことは放っておこうと言ってくれた。「時間をあければ変わるかもしれないし、変わらなかったら、会いに行きたい人にだけ会いに行けばいい」それを聞いて、心が少しだけ落ち着くも、それがもしバレでもしたら、と思うと怖くてできないと言った。私は何より母から怒られることを恐れている。2時間以上離れた場所にいるのに、考えるだけで震えるほど怖い。前の記事についてもどう思うか夫に聞いてみると「俺はむしろ見てほしいけどね」とはっきり言った。こいつなんて恐ろしいことを、と最初は思った。だってこんなこと知ったら激昂するに決まっているし、逆にさめざめと言い訳のような愚痴が飛んできたり、育てにくい私が悪いのだと、もし言われるようなことになったら……それこそ胃に穴があいてしまうじゃないか。そう伝えると夫は「今、〇〇(私)が苦しんでるのは紛れもなくお母さんの所為だし、それを知らないまま死ぬのも俺はどうかと思う。あれを見てどうこう言うわけじゃなくて、せめて思い知ってショックを受けてほしい。〇〇はどう思う?それを踏まえて、見て欲しくない?」もう、目から鱗だった。

結婚前から、この人のこういうところがとても好きだった。自分で考えて、自分の意見をきちんと言える人。自分を持っていて、自分が好きな人。夫のこういうところが私は好きだ。私にはないものだから。私はこんなことしか思って生きられない。迷惑とわかっていて愚痴らずにはいられない、そんな私が私は大嫌いだ。夫の一言は自分に自信がなくて、母に怯えるだけの私にとって、まさに目から鱗だったし、とにかくありがたかった。それを聞いた私は、素直に知ってほしいなと思い、直接は言えないから、この記事を書くことにした。お母さんも大変だったよね。わかってる。でもね、私はね、こう思ってたんだよって…やっぱり知ってほしい。

家の仲を取り持とうと感情を押し殺しながら頑張ったり、何度も枕を濡らしながらそれを無理だと諦め、家がいるのが嫌で、やっと大人になって、出来婚という形で突如として家から出る。
そんなただの素行不良娘の昔話。
母との思い出をここに書いていきたい。

 

 

高校生の時、車通りが激しい交差点で、信号を待ちながら「このまま突っ込んで死ねたらいいのに」そんなことを思いながら毎朝通学していた。

それは一時の思春期のものには留まらず、大人になった今でも定期的に思うことだし、この高校生の時は特にひどく、もう全てが嫌で、この先いいことなんてなにもないと本気で思っていた。仲の良い友達にもこの先の人生明るいことなんてないから、頑張っている部活動が終わったら死んでしまいたいと、そんなことを漏らしたこともある。ちなみにその時の友達がなんて言ったかというと「松坂牛を食べよう」と返してきた。食べたことはないが、高級肉だから美味しいはず。それを食べずに死ぬのは勿体無いじゃないかって。その後私たちは帰るまでずっと、死ぬまでに味わわなければ勿体無い食べ物を言い合って帰った。あの時のあの返しはほんとに笑った。友達にはとても感謝している。

両親はまさか私がそんなこと考えていただなんて、夢にも思わないだろう。でも、そうだったんだよね。今思えば高校生の時の私は、かなり限界だったのだと思う。

自分では頑張って取り持ってきたつもりの両親の仲は、父の借金という形で目に見えて最悪なものとなり、母に「あんたたち(妹がいる)の為に離婚しないんだからね」と言われ、家の中はかつてなく空気が悪くて、どこにも私の居場所なんてなかった。当時頑張ってる部活があったから、それがあるまでは死なない。そうやって死ねない理由を探す毎日だった。でも結局死んでないのだから、痛いのは嫌で死ねないただのメンがヘラった奴なんだと思う。でももし、もうここから楽に消えることができるなら、それができるならみんなにとってそれが一番いいと思っていた。未だにその劣等感や自己否定、希死念慮は消えることはない。

それでも、なんとか道を踏みはずさずに、今まで世間一般の"普通"程度に生きてこられた。それは、松坂牛の友達の件もあるが、周りに恵まれていたのと、借金の件で、叔母が真っ先に私を抱きしめて「辛かったね」と言ってくれたからだと思う。あの時私を気にかけてくれてくれたのは、叔母一人だけだった。それがどれだけ救われたか、感謝してもしきれない。

この先はとりわけて母や家族と、その自分のことを書いていこうと思う。

私が一番幼い時の記憶は、2歳〜3歳の頃からある。その頃から、気付いたら様々な塾に通わされていた。教育や、しつけにとことん厳しい母だった。箸がちゃんと持てないと手が赤くなるまで叩かれた。しかし「あんたはまだマシよ。私もおばあちゃんに箸が持てないと箸で叩かれたのよ。まだ手だから痛くないでしょう」が決まってついてきた。この服着たくないと言うと「同じことをおばあちゃんに言うと裸で外に吊るされたわ」と言われる。家の毒が根深いなと思うのは、毒の親もまた毒だから。そうやすやすとこども1人の力で解毒できるものじゃない。

手が出るなんてことはほんとに日常茶飯事で、ひどいときは物だった。しかしそんな母も、遊びにはよく連れていってくれた。母の作るご飯は美味しかった。いい思い出だってたくさんある。そんな思い出と、されたことや、言われたことの狭間でいつも揺れて苦しい。本音はいつも、何より母に好かれたかった。だから母の言う通りにできない私が悪いと思っていた。そんな自分がいつも嫌いで、性格が丸々変わってくれたらいいのにと小学生の時から思っていた。母の言う通りにできるような、別の自分になりたかった。

母と違って、私の中の父はいつも曖昧だ。ろくに話したこともない、そもそもいつも帰宅が遅くて、家にいない。幼い頃はいても毎晩のように母と喧嘩をしていたし、そんな母から父の愚痴を常に聞かされていた。私の顔は父に似ているのだが、母が父を嫌っているため、母が私のことを父に似てるというたびに、私も嫌われてしまうのではないかと、それが怖くて、頑なに認めようとはしなかった。

もうきっかけなんて思い出せないけど、かなり幼い頃から私には爪を噛む癖があった。その癖は幼い頃の癖に留まらず、ついには指の皮までめくるようになってしまった。今現在、強迫性皮膚摘み取り症になっているように思う。私が精神科にかかりたいな、と思う理由の一つになっている。自覚症状としては、爪噛みと、爪のまわりの皮めくり。ニキビはつぶすし、かさぶたできたら剥がすし……言い出したらキリがない。全部時間を忘れて、血が出て痛いと思うところまでやってしまう。そういえばこの皮膚摘み取り症の中の一つに、髪の毛を抜く癖があるのだけど、小学生の頃あったのだが……その時の話をしようと思う。

 ……色んなことがストレスだったのか、爪を噛む癖に加えて髪の毛を抜いて、怖いことにそれを食べるという癖が出始めた。その時の絵面は想像したくない。狂ってやがる…おそらく、食べたのは抜いている髪の毛を親にバレたくなかったのではないかと今では思うけど。

案の定、やりすぎて一部分が禿げたことで、母にすぐバレるし、その場で父にもバラされる。母にどうしたの?と聞かれても、知らない、の一点張り。そして、皮膚科へ連れて行かれることになった。あの時は怖かった。だって、当然自分で抜いている自覚があるのだから、嘘がバレてしまうと思ったから。しかし母にはまさか自分で抜いているなんてそんなこと言い出せない。母はなんらかの病気を疑っている。診察も、お医者さんには母の手前、知らない勝手に禿げたと言ったけれど、そんなこと今にバレて、怒られると終始びくびくしていた。しかし、先生は優しく先に待合室へ行っていなさいと、言うだけだった。
その間何が話されたのかはわからないが、そわそわしながら待っていると、待合室から母が帰ってきた。しかし母は何も言わない。でも、その無言が、その顔が、機嫌が最悪だということだけはわかった。私はいつ怒られるのかとびくびくしながら会計を済ませるのを黙って待って、車に乗ると、母は途端に私をしかりつけた。

「私に恥をかかせやがって、あそこにもういけないじゃないか。あんたはいいよね。ストレス?その程度のストレスで髪を抜くんだったらいっそのこと髪の毛を全部抜いてしまえ。」
髪の毛を引っ張られ、泣きながらごめんなさいと謝った。
翌日あった家庭訪問では、「見てくださいよ、先生」とまだ禿げている頭を、当時の担任の先生に強制的に見せられた。「この子自分で髪の毛抜いちゃって(笑)」私もそれに合わせてなんとか笑った。髪の毛を抜く癖はなくなったけど、かわりに指の皮をめくるようになった。

他に小学生で思い出深いのは、将来の夢の作文で、どうせお母さんに決められると書いて親を呼び出すことになったりとか、80点以下を取ると怒られて叩かれるからそれが怖くてカンニングしてバレたりとか、親の気をひこうとあることないこと嘘ついて担任の先生にバレるとか、男子をみんな〇〇君と君付けで呼んでいたのだけど、仲の良い男子に呼び捨てで、と頼まれて呼んだら、母にバレて怒られ叩かれ、男子に泣きながらできないって言ってドン引きされたりとか、嘘を重ねる私に包丁だして殺してやろうかとか、車を池の前まで出して、一緒にここで死ぬかとか、妹なんて算数の教科書の固い方で顔を叩かれ前歯が2本抜けた。乳歯だったからよかったものの、私も分厚い図鑑で叩かれそうになって死ぬと思ったこともあったし、怒った時の母はほんとうに恐ろしかった。テストで80点以下なんてとろうもんなら、恐ろしくてなかなか家に帰れないし、どうやって隠すか必死になった。なぜ隠し、嘘をつくのか、嘘をつくから怒られるのではないかと母に言われたが、素直に出しても叩かれて怒られるのだから必死に隠す方法だってそりゃ考えるわなと小学生の私に少し同情してあげたい。この頃両親の仲は、父親が性病になって帰ってきたとき母が「私の人生返してよ」と言ってしまった為にもうかなり悪くなっていたらしい。そんなこと後から知るのだけど。

 

さて、中学生になった私がどうなったかというと、勉強する意義がわからなくて、全くする気になれなくなっていた。明日テストなのに何も勉強してないなんてことはザラ。塾に行ってもやる気はゼロ。部屋に帰ってもぼーっと天井を見つめるだけ。小学生の頃まではドリルの一単元ごとに母の答え合わせがあったのだけど、それが中学生になり、あんたもこどもじゃないんだからとそれがなくなった。母は幼い頃から勉強する癖をつけたつもりでいたのかもしれないが、目論見は完全に外れていて、今まで怒られるから勉強していただけなのだとその時気付いた。だからせいぜい怒られない程度にぎりぎり勉強するぐらいが関の山。高校だって正直どうだってよかった。なんで頭のいい高校に通わなくてはならないのか、そこに行ってもいいことがあるのか。こうやって決められ続けて、少しでも点数が悪ければ叩かれるのに?この先もずっと?私の人生ってなんだ?この頃あたりからそんな気持ちが芽生えてくる。おめでとう反抗期です。ちゃんと人間の成長過程は順調に歩んでいますよ。とにかくそんなのはごめんだと思っていた。母が進める進学校も、学校見学に行ったってなんら興味すら湧かなかった。私は勉強から逃げるように部活動や、諸活動に勤しんだ。母はそれを良く思ってなく、勉強以外の頑張りを認めないので、勉強を頑張らないと、部活動もやらせてもらえなかった。部活をやりたいが為に勉強をしていた。

ある時のこと、悪い順位の成績表をもって帰ると、母は鬼のような形相で怒り、持っていたラケットをヒステリックに階段へガンガンと打ち付けはじめた。驚きすぎて何が起こったのか理解できないまま呆然としていると、ヒビのはいってしまったラケットを真っ二つに折って私に投げつけた。この時の母はそれだけでは収まらず、私の部屋のありとあらゆるものをひっくり返し、電話の子機も粉砕した。そして全部を私に片づけるように命じた。気をつけろ、カーボンは刺さると痛い。

片付けながら、ただただ明日の部活どうしようと考えた。これでも校内では一番強くて、次の試合だって決まっていて、副部長を任されていた。翌日珍しく父親が何か言ったらしく、舌打ちされながらラケット買ったっけ。なんだかんだ無事に部活は最後まで続けることができた。そんなことがあっても私は残りの中学生活、ずっと勉強をしなかった。もちろん母はそんな私を許すわけなく、怒り、叩いた。しかし私はだんだん叩いても言うことを聞かなくなってしまって、そんな私と母が対決していたのが中学生活の主だった。何かにつけては「もう学校へ行かなくていい」「誰が生活させてやってると思っているんだ」と言われ、言い返す気もおきなかった。勝手に公立高校の推薦を取ってきたときも、もしそれに落ちたら、既に受かっていた私立の進学科に進んでもらうと言われた。最初っから私に選択肢などないのだ。だから無理やりでも推薦をもぎ取ってきて本当によかったと思う。それからの親からの私の評価は無駄金使いの聞かん坊、やればできるのにやらないどうしようもない奴。順調に家が嫌いになりつつあった。

 

無事に推薦で受かった高校に入った私はこれまでより一層部活動に勤しんだ。吹奏楽が好きだった。何よりも音楽が好きだった。もちろん母はよく思ってなく、成績が悪かったら部活動を辞めろと言われていたので、悪かった時はコピーをとってペイントで編集して誤魔化したものを見せたりした。一度だけ正直に見せた時、次の日大切な大会があったが、家に軟禁されてしまって部活に行けなかった。それからはもうずっとコピーしてたな。その頭があったらもっと他に使えと今では思うけど。

父の借金が発覚したのは帰ってきて突然だった。母が慌てふためいて「私の学資保険が全部使われている」と言った。勝手に解約したのは父だと。間も無く帰ってきた父より借金は私の学資保険を全部使っても残りがまだ500万くらいあると言われて、家庭崩壊とはこのことかと他人事のように笑った。しばらく別居することになり、もういっそのこと離婚したらいいのにと勧めたが、母は私と妹の前ではっきりと「私はアンタたちの為に離婚しないんだからね」と言った。あの時の言葉となんとも言えない感情は、一生忘れない。忘れることができない。借金は父の実家と母の実家が揉めてなんとか返済。別居も解消したものの、会話なんてあるわけなく、家庭内別居状態。

書かなくてもわかっていただけると思うが、居心地はかつてなく最悪だった。どこにも居場所なんてない気がした。どれだけ面白い会話をしても、家族で笑い合うそんなようなことはもう一切ないんだ。父と母の会話はそもそも一切ない。こんなにも仲が悪くなってしまったのなら、家族を装う必要性はどこにあるの?世間体?そもそもお父さんとお母さんは、ずっと仲が悪いけど、なんで結婚したの?私たちの為に離婚しないんだって。学費も私の使ってたし、離婚しないのも私のせいなんだ。全部私のせい。産まれてこなければよかったって言ってたしな、私なんていらなかったんだな。産まれてきちゃダメだったんだな。産まれてこなければ、お父さんもお母さんも、それぞれ幸せに暮らしていたかもしれないのにな。なんで私生きてるんだろうな。死にたいな。死んだらきっと、みんな元通りになる。死ななきゃな、でも死ぬのって怖いな、誰か殺してくれないかな。

↑当時はまんまこういう風に思っていた。

そして私は家のことを忘れるように、少しでも家にいなくてもいいように部活にのめり込んだ。防衛反応だったのかもしれない。あのまま行けば本当に心か折れるか、先に体が道路に飛び出すかのどちらかだった気がした。

部活を頑張ることで家に帰らずに済むのもありがたかった。朝練はもちろん、土曜日も丸一日練習していたし、休みは日曜日だけだった。それだけ頑張ったおかげか、ソロの地区大会で金を取り、県大会へ行けることになった。初心者の高校生にしたら2年間で本当によく頑張ったんじゃないかと思う。もしかしたら褒めてもらえるんじゃないかと、どきどきしながら電話でそれを伝えると「そんなことより、明日のテストは大丈夫なんでしょうね」とテストの心配をされた。舞い上がった気持ちもどこかへ飛んでいって、一瞬にして地に叩きつけられた気持ちになった。褒められたことがないのは、私が頑張れてないからだと思っていたけど、これで褒められないのだったら、もう無理だ。同時に色んなことが思い出されて、賞状をくしゃくしゃに握りしめながら泣いた。こんなに頑張ったのに、結果も出したのに、他に何を頑張ればいいの?小学生や中学生のマラソン大会だって、頑張って7位をとって表彰状を持って帰ったときも、それだけできるんならなぜ最初からやらないのかと怒られたね。じゃあ勉強?母が唯一認める勉強だって、小学生の時オールAをとったことがある。塾の模試でいい結果を出したこともある。でもその時だって、褒めてもらえなかったじゃないか。調子に乗るなって、そう言ったじゃないか。

母は何をしたって褒めてくれないのだ。

多分私の諦めはここからきている。何をしても認められない遣る瀬無さ。いくら頑張っても他人から褒められても、満たされない気持ち。

この出来事があって、母に褒めてもらうことは諦めようと、親に対して諦める、というコマンドを使うことが多くなったように思う。

ここから大学進学〜就職までもまあ色々ある。色々あるけど省く。一言だけ言えば、こうした私の歪みは、何故か他の一癖も二癖も抱える人を呼び寄せやすくしているらしい。そういう人は人間関係気をつけたほうがいい。用心に越したことはないよ。

良いこともある。この辺りから本格的に外の世界を知って、ある程度の自由を手に入れるので人生がみるみる楽しくなってくる。

しかし所詮実家暮らしだから外の世界と家の世界の板挟み。とにかくこの時くらいには家の全てがうんざりだった。一刻も早く家から離れたかった。とりあえず大学卒業して一悶着あった就職活動も終えて、晴れて就職。この頃には夫と出会って付き合っていて、もう家にはほとんど帰らなくなっていた。もう帰りたくなかった。それで夫に迷惑をかけたのはいい選択だとは思ってないし、今でも申し訳ないと思ってる。でも晴れて結婚して、家が離れてどれだけ苦しかったか思い知るそんな毎日を送っている。

 

昔話はこれでおしまい。

金銭面ではやはり親に感謝せねばならない。でもこうやって書いてみると異常さが浮き彫りになるのも自分でもわかった。自分で子ども育てて、わかる部分もあるし、子育てや夫婦間のいざこざでしんどかったのもわかるけど、それでもわからない部分もたくさんあって、やっぱり愛してなかったのかな、私は所詮は愚痴吐きの道具だったのかな、とか思ってしまう。

前の記事でも言ったように、普通の家庭というものを夫の家族で目の当たりにして、今までの人生は、苦労は一体なんだったのかと愕然とするし、正しく愛されなかった私がきちんとこどもを愛せるのか?私も母みたいになってしまうのでは?とどうしもうもなく子育ては不安だし、必要以上にピリピリしてる気がして、しんどい。漠然と生きるのが辛いのはやっぱり今でも変わらない。

いつも自分の行動の基準が、母に怒られないように何かをするだったから、怒られない環境に行くと何をしていいかわからない。何かをすると、母が怒るかもとビクビクしてしまうのもなかなか治らない。自分という意思が、感情が、なかなか素直に出せない。わからなかったりする。

「このままだと、ど根性ガエルの娘みたいなことになるよ」と夫は言う。両親が倒れて、こんなはずではと私も思うと言いたかったのだろう。でも、どうだろう。もし、父や母が倒れた時私も思うのかな。後悔するのかな。全くそんな自分が思い浮かばない。それは置いておいても、介護問題で衝突するのは目に見えてるそうで。ははあ、おっしゃる通りだと思います。

もし、このまま介護問題に直面したら冗談ではなく胃に穴があくな。それまでになんとか自分の心を整理したいとは思っている。

今はまた母が嫌い期なんだと思う。悪い人じゃないんだ。ただちょっとヒステリックなだけなんだ。高校の時だって毎日弁当を作ってくれた。母のごはんはとても美味しかった。

そして、母の愚痴を聞かされていたせいで、全ての根源は父親にあると思い込んでいたけど、今となってはわからない。父親も、ヒステリックな母親に参ってギャンブルに走ってしまったのではないかとそんなことを思ってしまう。父親父親で悪いところはたくさんあって、仕事での父の姿はわからないが、家庭での父はあまり尊敬できるものではなかった。しかし母よりは幾分か話が通じるのは確かだ。就職活動でぶつかったときも、テニスラケットを粉砕されたときも、話が通じたのは父親だけだった。しかしもう離れてしまった今となっては、それを確かめる術はないけど。

あーあ、父と母を好きでいたかったなあ

ずっとずっと好きでいたくて、自分が取持ったり頑張ればいいと思って我慢したりもしてきた。でも、無理だった。私の力が足りなかっただけかもしれない。

出来の悪い娘で、どうしようもないやつでと、お母さんやお父さんが言うたび、心から私は本当に産まれてきてよかったのだろうかと思うよ。

私が産まれてきてしまったが為に、無駄なお金を使わせてしまって、離婚もできなくて、なんも得することなかったよね。あーあ。ほんと親孝行のできない、出来の悪い娘でごめんねー!

さて、こういう気持ちはこういうとこに吐き出しちゃって、気持ちを切り替えるに限る。

 ……もし、親がこれを見たらどう思うのか、私には想像もつかない。お金はしっかり出してる娘からこんなこと書かれるなんて、親不孝も甚だしいって言われるのかな。間違いなく私は親不孝で、この先親孝行しなければならないと思うのだけど、素直に親孝行したいと思う気にはなれないんだなあ。

そんな中最近救われたページをここに置いておきます。

「親孝行」という倫理観の重圧 うつ・双極性障害・摂食障害の要因

もし、親孝行という言葉に悩む人がいたら、このページを全部読んでほしい。

この部分だけでも私はだいぶ救われた。

だから私は、父が喜ぶ顔を見ると嬉しいと感じ、何か彼が喜ぶことをしたくなる。
しかし、それは決して、倫理観や責任感からくるものではない。
父親が私に、それだけのことをしてきてくれたからなのである。

親孝行ってそういうもんだと思う、私も。だからさ、まださ、そんな気分にはなれないんだ。ごめんね。

先ほどのサイトの他の用語も是非読んでみてほしいから置いておく。
第一歩の瞬間 カウンセリングの場面にて
希死念慮・自殺念慮|大阪堀江 幸朋カウンセリングルーム
子は親に似る? 大阪北堀江のカウンセリング・スペース・幸朋

このページのおかけで、精神科に行ってみようと思った。とりあえず予約。1ヶ月待ち。次書くときは少しでも、この気持ちがなんとかなっているといいな。それでは

関連

ちらりと書いた、「ど根性ガエルの娘」

話題になったので知ってる人も多いと思う。

ヤングアニマルDensihttp://www.younganimal-densi.com/ttop?id=78www.younganimal-densi.com

ピクシブで共感した漫画。

【実録漫画】「うちの親って毒親だったんだなあ」漫画/クサカ(元 源蔵) [pixiv]www.pixiv.net

共感というか、家もこんなんだと思ったまとめ。

【毒親】ひがみっぽい長女「次女の方が可愛いんでしょ!私の事は放っとく癖に!」→上手く叱る方法はないかな?(前編) : かぞくちゃんねる

【毒親】ひがみっぽい長女「次女の方が可愛いんでしょ!私の事は放っとく癖に!」→上手く叱る方法はないかな?(後編) : かぞくちゃんねる

なんで毒親って子供を勝ち負けとか、世間体でしか見ないんだろうね。自分が認められたい一心で子供を育てちゃだめだ。あんたのおもちゃじゃない。

前回から読んだ本。

 

 

産まれてこなければよかった、という呪い。

※1/17何が言いたいかわからなかったので少し追記しました。

一生私はその呪いに縛られて生きていくのかな、とネガティヴになっていたのは、本当に生理前ってのもあったみたいです。まあ一番は前の記事で母親から恨み言が書かれたLINEが来たせいなのだけど。

この記事を何故書いたかと言えば、毒親について知ってほしい。家は変?って思ってる人にいち早く気付いてほしい。本当はそんなことを言いたかった。何よりもこれを、高校生の時の自分に宛てて書いてるような気がします。君ね、現に影響出てるから、君にとって親は毒だから、とどのつまり毒親だから、ってそんなことが高校生の時の自分にでもわかるように。

そんなたくさんの気付きとなるきっかけの漫画やブログを、この記事に詰め込みました。せめて毒親とは〜まではお付き合いいただけたらと思います。

はじめに

貴方は、突如として、普通だと思っている友人に「実は私(または俺)親が嫌いでさ〜」と話しかけられたとする。貴方は何と答えるだろうか。場所は様々だ、大勢の人の中での飲み会やら、あるいは2人きりで。友人は、別に虐待されたわけではないと言う。だとしたら貴方は「親に感謝しなきゃ、大人にならなきゃ」と言うだろうか。でももし、少しでも余裕があったのなら、どうか「どうしたの?」と話を聞いてあげてほしい。

友人も、こんな話で空気を悪くしたくないから、おそらく茶化して話しはじめるに違いない。しかしその心の奥底では真剣そのものだ。

話を聞いた上でそう思うのなら「感謝しないと」と言えばいい。そうでなければ、どうか「自分の家は違う」と言ってほしい。別にその話に同情しなくていい。ただそれを言ってくれるだけで、自分の家が異常であると気付く、大切なきっかけになるから。

気付く、というのがそれだけ大切で、気付くという、一見簡単に思えることがとても難しい。そのことを知ってほしいと思う。

毒親とは。毒親チェックリスト、関連本

これだと思ったきっかけはもう忘れてしまったけれど、「あ、家はちょっと変かもしれない」と気付きはじめたのは中学生の時だった。おかしいかも?と思いながら成長を重ね、段々それが確信めいたものとなり、大学生の時毒親というワードに行き着いた。

ちなみに、毒親とは何か、Wikipediaさんはこう言っている。

毒親 - Wikipedia

 毒親(どくおや、英:toxic parents)とは、過干渉などによる児童虐待によって、一種の毒のような影響を子供に与える親のこと。

毒親は親の特徴を表す言葉でも、別に親を罵るための蔑称でもない。 育てられた子どもが、自分自身のために使う言葉であるため、一括りに毒親と言っても、その意味は、影響は本人によってそれぞれ異なってくる。

言葉を知った私は、次に「不幸にする親」という本を買った。

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

不幸にする親 人生を奪われる子供 (講談社+α文庫)

 

この本の中に、チェックリストがある。Webで取り扱っているページがあったので、まずは試しにやってみてほしい。66項目もあるけど。

毒親チェックリスト 毒になる親の特徴http://hutoukou2ch.web.fc2.com/control02.htmlhutoukou2ch.web.fc2.com

結果はどうだっただろうか。

この66項目の中で22項目以上(1/3以上)当てはまるならば、子どもは親からの影響を受けている可能性が高いと言える。そして、まずある程度普通の親に育てられたこどもは1/3を超えることはない、とまで著者ははっきり本で述べている。今でも私は44項目が当てはまる。今まで当たり前として生きてきた家庭が、親が、当たり前ではなく、むしろ異常であるいう衝撃は強い。最初こそ違う、認めたくないと否定するだろうし、それでも親は…と言いたくなるとは思う。しかし、わかりやすく1/3という基準があって、ここまで強く言い切られたら、自分が影響を受けていることは明白なのだ。そうかもしれないという次の段階に進むことができる。それが案外大事だったりする。気付きの第一歩だ。

今は親元を離れ、結婚して、こどもも2人授かり、4人の家族と暮らして、これ以上ない幸せを感じている。それなのに、未だに呪いが私を苦しめる。親のことで今でも胃が痛くなるし、過去のやりきれない思いで胸が張り裂けそうになる。呪いは自分で思ってるより根深い。義実家に行って、普通の家族を知れば知るほど、今まで育った環境の異常さに気付いて、差を感じてしまう。親を許したいけど許せない。そんな思いから初めて「母がしんどい」「毒親育ち」という2冊の本を買った。 

母がしんどい

母がしんどい

 
毒親育ち

毒親育ち

 

2冊とも境遇は違う。まるで違うのに、そこに描かれている主人公の抑圧された感情や、今に至るまで悩む姿や、漠然と蔓延る生きづらさはまるで私だと思った。

「母がしんどい」は共感しすぎて読み進めるのが辛くなり、「毒親育ち」では他人に頼れず頑張すぎてしまうところや、自分を大切にできないところ。特に作中に出てくる"承認欲求のゾンビ"という言葉なんて、私そのもので笑ってしまった。

他には…こちらも有名だが、「ゆがみちゃん」

「ゆがみちゃん」本編 ①追憶編|原わた|notehttps://note.mu/yugami/m/m38335f44dc81note.mu

最近だと、ふんわりジャンプから「毒家脱出日記」絶賛連載中

毒家脱出日記~親が苦手じゃダメですか?~ | ふんわりジャンプ

特にこの、第8話のこのシーン。

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このシーンがわかりすぎて辛かった…他人の家に行ってお母さんとお父さんが会話してるのがショックでたまらない。わかる。わかりすぎる。このように普通の家と毒親育ちでは、自分の価値観が自分が気付かぬ内に歪められてしまうのも特徴だと思う。

そしてこちらは、毒親をテーマにしていないが「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」と「一人交換日記」個人的に共感するところが多かったので、載せておく。

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ

一人交換日記 (ビッグコミックススペシャル)

これら先駆者の本を読むことで、読み進めるのは辛いかもしれないが、間違いなく共感するところが出てきて、「そうかも?」段階の人には「やっぱりそうなのか」まで進めることができる。これは本当にありがたい。

先述したが、生まれ育った家族、家庭というものは、自分にとっては当たり前のところであり、まさか異常があるとは、自分ではなかなか気づけないからだ。(思いたくないというのが強い)だいたいは、何かしらで生きづらさを感じることにより、初めて異常に気付く。その時点でもう、そのこどもは毒されているといってもいいだろう。特に精神的な虐待については、一見普通の家庭に見えることが多くて、発見も遅れがち、もしくは気付かれず、周りから理解されずにそのまま大人になるケースが多い。他の家って、家庭ってなかなか比べようがなくて気付くのが本当に難しいのだ。

私も確信がなかなか持てなかった一人だ。よくよく考えてみれば、家は暴力はないものの、借金、両親の不仲、言葉の暴力や支配「産まなければよかった」にはじまり「あんたは何をやってもダメ」「父親に似て本当に残念な顔」「ブサイク」等々……塵もつもれば、山。数え役満なのに、なんで気付かないのかと思うかもしれないが、産まれてからずっとそれが自分にとって当たり前だったのだ。それが普通だと思ってしまうので、気づきようがない。母に怯え、両親の不仲が"普通"の家庭だった私は、むしろ仲の良い両親がいる家庭というのが映画や漫画のような世界にしか思えない。幸せの家庭(といっても両親が普通に会話するぐらい)を目の当たりにして、実在するのかと人様の家でショックを隠せなかったこともある。その今までの"普通"を覆すのは、相当な苦悩と、混乱が襲った。何度も何度も繰り返すようだが、自分でそれを気付くこと、それだけでも、大変体力がいるし、難しいことなのだ。

その他毒親について、または毒を受けてしまった自分について、参考にしたブログも併せて紹介したい。

「父親がクズなのがホントのことだとして そのグチを子どもにぶつける行為はクズではないの?」 - 斗比主閲子の姑日記

親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係

大人になってから自己肯定感を高めるには - こじらせ女子のつまらない出来事

群がる「親」という名の感謝乞食たち - yuhka-unoの日記

読んでいく内に、多分思うところある人は沸々と怒りが湧いてくるかもしれない。あの時、怒ってよかったんだ、泣いてよかったんだって、今更ながら涙が溢れてくるかもしれない。

その涙は今後こそ我慢せずに、そのまま流すといいと、私は思う。辛かったって声に出して言ってみてもいい。気のせいじゃない、間違いなく辛かったんだ。辛いことを認めていい。間違っても自分の所為なんじゃない。親の所為にしたっていい。全部自分が悪いんじゃないんだ。正しく流せた涙は、きっとちょっとスッキリさせてくれる。スッキリしてから、またどうしたいか色々考えたらいい。

自分の親が毒親だと気付いたら

もしくは、自分が毒されていると気付いたら、どうしたらいいのか。

気付けた時点で半分以上は抜け出せていると思っています。一先ずおめでとう。先ほども書いたが、家族、家庭というところは、自分にとっては当たり前のところで、なかなか他と比べようがないから気付くのも遅れがちなところがあるように思う。気付くことまでも大変。頑張ったね。気付けたら後はもう脱出あるのみ。いざ行かん外の世界。

でも、そこからも大変。

気付いたら気付いたで苦しい。あと50%は自分の心との戦いだと思う。ここまでも色々葛藤してるのにね。毒されたと思う人、自分は人との接し方や、距離感、何か人とは違うように思える人。どんなに幸せでも親の影がちらついてしまう人。私みたいに呪いに思い悩む人などなど、とにかく親による影響から、今に生きづらさを感じてしまう人。

どうしたらいいのでしょう。それはもう、溜まってしまった毒を「正しい」ところへ吐き出す。それしかない。

「正しいところ」というのは人によって様々(配偶者、友人、本を読む等)だと思うが、その一つの選択肢として精神科、カウンセリングをやはりお勧めしたい。だって、心のプロだもの。

「母がしんどい」の方も最終的には精神科・カウンセリングを受けているところをみると、やっぱりそれが一番なのかな、と思う。

精神科はハードルが高いという人。日本いのちの電話連盟というのがあって、無料で電話相談できるそうなので、まずはそれも一つの手かもと思います。

一般社団法人日本いのちの電話連盟www.inochinodenwa.org

↑驚くことに、電話以外に今インターネットでも相談できる(メール)

そんな偉そうなこといいつつ、私自身夫に吐き出すだけ吐き出して、行けていない。主に本を読んで、気持ちの整理をつけている。

いつかこの記事の続編として精神科へ行ってみた、とかそんなかるーいタイトルの記事を書けたらいいと思う。乞うご期待。

産まれてこなければよかった、という呪い

ここからは特に掘り下げて私の過去のことを書いていこうと思う。自分語り乙で、吐き出したいままに自分が毒を吐いているだけなので、毒親が何か知りたかっただけの方はブログを閉じていただければと思う。

あ、上記で紹介した「母がしんどい」はpixivコミックで少し無料で読めるので、気になる方は是非。

 母がしんどい - 無料マンガサイト pixivコミック

……さて、虐待といえば、世間ではまだまだ身体的な虐待を想像するかもしれない。そして、そういう人に比べれば暴力を振るわれないだけで、生きているだけで感謝しなさいと言われる。加えて、親は私を大学まで進学させてくれた。立派だと思う。ほら、やはり感謝しなければ、と言われることだろうと思う。

誰に対しても、ぽろりと私が「親が好きではない」と零すと、必ずと言っていいほど「親に感謝しなきゃ」と言われる。親が嫌い、という言葉は世間では絶対に言ってはいけないことであり、それを言ってしまうのは、まだまだこどもであるという社会の意志さえ感じる。

確かに感謝しなければならないことは山ほどある。私が産まれたこと、礼儀やマナーを育み、衣食住にだって困ったことはない。だから親に感謝しなければ、と頭では理解している。その上で嫌い、憎いという感情が捨てられない。

特に産んでくれたことには感謝せざるを得ない。私という人間が産まれてくることができたのは、紛れもなく母と父のおかげだ。でもそれを人から「産んでくれたのだから、感謝しないと」言われると「じゃあなんで『産まれて来なければよかったのに』と言ったのでしょうね」と噛み付きたくなる衝動をいつも抑えている。

「産まれてこなければよかった」「あんたなんて産まなきゃよかった」「あんたさえ産まなきゃ私は離婚できたのに」

これらの言葉がいついかなる時でも頭を離れない経験をしたことがあるだろうか。私はこれを言われたことにより、自分を大きく否定された。自分の存在意義が曖昧で、自己肯定感が著しく低くて、漠然とした不安をずっと抱え、悩んで生きてきた。未だかつて私の周りでこの言葉を言われた人に実際に出会ったことがない為、本当の意味で悩みを共有した人もいなかった。だから本を買ったのだけど。

小さい頃、私は生意気な子供だった。ああいえばこういう、口が減らない子だった。さぞかし子育ては大変で、腹立つこともたくさんあったろうと思う。越えてはいけない壁を越えされてしまうような子どもだったのかもしれない。

そう言われたことがあると人に愚痴を零したら、「言った本人はそんなこともう忘れているよ」と返ってきたこともあった。「だから、君ももうそんなこと忘れなさい」という意味を含んで言ってくれたのだと思う。

母のことだから、忘れてしまっている可能性は高い。でも、言われた方はずっと覚えている。アドバイスは有り難いし、きっと忘れた方が身の為なんだろうけど、残念ながら今は忘れろと言われても無理なのだ。

産んだ母親が、自分のことを否定することが、子どもにとってどれだけショックなことであるか。回数まで覚えている。3回だ。根に持つ性格だから余計悪かったのかもしれない。

3回の内1回目はかなり幼い頃だ。何を言ってそう言われたのか覚えていない。小さいからって馬鹿にしてはいけない。その言葉に愕然としたのははっきり覚えているのだから。

2回目は小学生の時。学校から帰ってひょんな事から親と口喧嘩をして、売りことばに買いことば、段々ヒートアップ。私も口が減らないから、生意気なことを何か言ったんだろう。でもそれを言われた時は、もう何も言葉を返せなかった。 それで喧嘩も終わりだ。黙って部屋に戻って1人で泣いた。親からのフォローは一切何もない。それどころか夕飯になって親と顔を合わすといかに私が悪いかということを延々と怒られ、何度謝ってもそれは続く。謝っても、その言葉についてのフォローは何もない。フォローなんてあったこともない。

3回目は大学の時、それも20歳を越えてからだ。1番よく覚えている。きっかけなんてくだらない。大型就活イベントへ車で行っていいかどうかということで喧嘩した。そこから何故それを言われたのかは思い出せないが、とにかく言われた時は決定的だった。「やっぱり親は私のことは好きではないし、本気で邪魔だと思ってたんだな。よかった」とすら思った。安心して嫌いでいられると思えたからだ。

私は一回だって、「産まれてこなければよかったのに」に言い返したことはない。言い返したら怖いから。もし「じゃあ産まなければよかったのに」って一回でも言ってたらどうなったかなと思うことはある。多分叩かれて怒られて物が飛んできて「一緒に死ぬか」って言われて終わるだけで、何も変わらないような気がする。

許したい、許せないの間。

親にとって、「産まれてこなければよかった」という言葉は、もしかしたら口が減らない私を黙らせる一つの手段だったかもしれない。そんな軽いものだったのかもしれない。そしてそれを言わせてしまった私も、また悪いのかもしれない。それは今でもわからないが、確かめようとは思わない。確かめたくない。

だって「忘れた」と言われても傷つくし、「そんなこと気にしてるの」とか「その通りだよ」と言われても傷つくから。とにかく自分の傷をこれ以上抉りたくない。親との関係について現状を変えるのが怖い。少しでもマイナスな方向に針が振れたら、耐えられない。プラスなんかになるわけがない。いい方向に変わるわけがない。20年で一度も変わらなかったことが、大人になって私が何か話したところで、何も変わらないと思ってしまう。そして現状を変えようと思ったらもちろん話し合いをしなければならないわけだけど、その過程を思うだけで疲れるし、ひどく胃が痛む。

一度言ってしまった言葉は消えないと思う。取り消せない。ほんの少しだけ、私のことを「愛してる」とふざけ半分で言われたこともあった。でも私は「産まれてこなければよかったって、そう思ってるくせに」としか受け取れなかった。だって人は、かけらも思ってもないことは言葉に出てこないと思うから。実際その時私は邪魔だったんだと思う。私がいるせいで離婚できなくて、自分の人生を無茶苦茶にされた。そう思っていたんだと思う。でも、それを私に言ったところで、どうにもならないのも、知っていると思いたい。

じゃあどうしたらいいのか。私は謝ってほしいのか、愛していると言ってほしいのか、と考えたこともある。そうではない。求めている言葉を言ってほしいのは、その時の、そう言われた時の私で、今の私じゃないからだ。だから、あとは自分の心の問題だ。自分の心さえなんとかなれば、今まで通りの関係を築ける。

こんな状況でも、それでも最近少しだけ変化があった。以前までの自分ならば、嫌い。憎いで終わっていたのが、許せないけど、許したい。やっぱり母に愛されたい。という素直な気持ちを自分で認められるようになった。

しかし、正しく与えられなかった愛情は、憧れを拗らせ、漫画にいるような理想の母親像を、私は母親に押し付けてしまっているように思う。泥沼化している。あくまでも、私が一方的に泥沼化させているのだけど。

母親だって、人間だ。

特に自分が母親になってよく思う。母親だって体調が悪かったり、気分が乗らない日だってある。様々なことがあって、こどもにさえうまく接することができない日だってある。そう、完璧な母親などいないのだから、私の願いも叶う事はないのだ。あくまでも母親は母親という1人の人間であって、理想の答えが返ってくるはずがないのに、それを期待してしまう自分がいる。今でも、心配してほしくて、母親らしいことをしてほしくてメールしてしまうことがある。そしてその期待を裏切られるたびに泣く。

いい大人になってまで、後何回私はこういうことで泣けばいいのだろう。

夫に愛され、新しい家庭を築いても、母の愛情を求めてしまう。当たり前に与えられなかった愛情というのは、呪いは、やはり思っている以上に根が深いようだ。

狭間で揺れ、苦しいのは、私は毒をまだ吐き出している最中で、まだ許すフェーズにまでは到達していないのだろうということにしたい。

最後に

同じことを書くようだけど、自分の家がちょっとでも変?と思った人は、やはり一刻も早く家を出ることをお勧めする。私は高校生の時に家が変だ、家を出たいと距離を置きつつ、結婚してやっと家を出てそして今に至るのだが、10年経っても解決できていない。できれば早く離れることに越したことはない。でなければ20歳を過ぎて、大人という歳になっても、親を理由にして20代という貴重な時間を犠牲にすることになる。それを社会は許してくれないし、自分の為にもならない。距離を置けば見えてくるものが本当にある。少し冷静になれるだけで、許せないものが、あれ?許せそう…?まで回復することだってある。冷静になっても、許さないと結論をつける人もいるかと思う。私はそれでいいと思う。自分の人生なのだから、それがどんな答えであれ、親に縛られず、自分で納得のできる答えを考えて、自分で答えを出す。それこそが私は1番大切だと思う。

最後に、お母さん。貴方は、様々なことがある中で子育てをして、さぞかし大変だったろう、それでも頑張って私を大人まで育て上げた。ひとりの人間として、とても尊敬しています。そして感謝もしています。

今は実家に帰るのも、連絡が来るのも胃が痛くなる。親としては無理だけど、将来はひとりの人間として、ちょっと歳をとった女性の友達として付き合えたらと思う。そしてなるべく早く私が次のフェーズに進んで、許せることを願いながら、この記事を締めくくりたいと思う。

突然だが、尿道結石になった。

尿道結石=男性、それも中年ぐらいの病気。

だと勝手に思っておりました。私26歳の女です。先日尿道結石になりました。だらだらと長いがまあどうかひとつ聞いてくれないだろうか。一応症状をまとめて、石予防対策、救急車マニュアルなるものも載せた。この為にブログ開設したから色々見辛い点もあるが、半分は自分用の備忘録なのでまあよしとしたい。私以外の人に同じ轍を踏んで欲しくないので、よかったら読んでほしいと思う。

先に言っておきますね、尿道結石は痛いぞ。

私のスペック

  • 年齢26歳
  • 性別は女
  • 子育て真っ最中(2人)

最後に健康診断を受けたのは3年前だが、健康診断は一度も異常はない。毎回Aランクの超健康優等生。1年前の妊娠〜出産の間に受けた血液検査でもなんら問題はなかったため、自分の健康には相当の自信があった。

まさか、まさか自分の身体に石があるなんてカケラも思ってもなかった。誰にでも起こりうるのだよ。それを肝に銘じてほしい。

それは、突然やってきた。

前触れなどない

この時私は自宅から離れ、親友の出産祝いの為に車で2時間ほど離れた実家に帰っていた。頼りにしている夫はいない。よくよく考えてみれば昼間、頻尿気味だった気もするが、いつもより水分を摂りすぎたかな?程度で、特に気になる症状はなかったように思える。前触れ?前兆?そんなものはなかった。ないのだ。

夜23時頃

こどもたちを寝かしつけ、そろそろ私も寝ようと横になるが、眠れない。先ほどトイレに行ったはずなのに、かなりの残尿感があってすぐまたトイレに行きたいと感じるほど。この時点で、ひどい時は30分に一回トイレに行っていた。少し横になって、またトイレに行って、少し横になって、またトイレに行く。繰り返しトイレへ行く内に排尿痛が伴うようになってきた。この時の私はさっきコーヒー飲んだせいかな?と呑気に構え、特に気にせずになんとか睡眠をとった。

深夜2時頃

こどもの泣き声で目を覚ます。起きると内臓が痛い。胃じゃないな、腸?なんだろう下のあたり。生理痛に近いような鈍痛。それも重めの、2日目の痛み。あとはトイレに駆け込みたくなるぐらいの激しい尿意。コーヒーのせいとかごまかせないほどの頻尿

痛いな、めっちゃトイレ行きたい。漏れる。

そう思いながらもなんとか授乳をすませ、トイレに駆け込む。排尿痛も先ほどよりもひどくなっていて、膀胱炎になってしまったのかな?と思い始める。ベットに横になるが、またすぐにトイレの繰り返し。確かに出してるはずなのに、ずっと出したい。出したい割には量が出てない。それなのに溜まってるような感覚。そうして何度かトイレに行ったり来たりを繰り返す内に、排尿痛も鋭さを増してくる。拭くのも痛いので、恐る恐る拭く。あまりにも痛いから拭いたティッシュを何気なく見ると、血が出ている。血尿だ。

おいまじか〜〜〜

明らかに血が混じってるやん〜これが血尿か〜まじか〜26歳で血尿て…病院行かなきゃならんよね…?内科?泌尿器科?まじか〜〜〜

まだ全然余裕ある。むしろこのまま症状が治れば血尿出してるのに病院という選択肢はなくなっていただろう。血尿よりも私は朝10時30分に予約した美容院へ行きたかった。血尿<<<<美容院。私の健康意識やばい。しかし非情にもトイレにいる時間のほうが長くなっていく。それどころか、いよいよこどもの面倒が儘ならないと判断した私は母を叩き起こした。

「頻尿で、血尿が出ている。なんかお腹も痛い。生理痛の重いやつ。」

「あんた、それ膀胱炎だねえ(笑)お母さんも血尿出たことあるわー」

膀胱炎かーーーーー恥ずかしーーー

「まあ、病院の時間までまだあるし、寝な」

いや、でもそう言われましても。

言われなくてももちろん寝たい。深夜2時やで。こどももまだ夜授乳していて、あと2回ぐらいは起きるかもしれない。そうなるとお昼きついからもちろん寝たい。けども痛くてすぐトイレ行きたすぎて眠れたもんじゃないのですよママン。膀胱炎やばいな舐めてたわきっつ。朝一で病院に行けば……美容院も間に合うかな。あー2人目出産してから9ヶ月も我慢してたのにこの仕打ちはなんだー辛いわー。まっ寝れないからとりあえず原稿書こ。

今考えても本当にバカだと思うが、本当にそんなことを思っていた私は、そのまま寝転がりながら、2時間近く原稿を書いていた。下からは相変わらず血尿を出し続けながら。

痛みのピークから診断まで

4時頃

血尿が進化する。ワンランク上の血尿。

凝血尿が出始めました。あと血尿も最初よりも明らかに量がおかしい。そもそも血尿っていうのは「おしっこに、血が混じる」状態なんです。血尿にも潜血尿と肉眼で確認できる肉眼的血尿があるのです。

オシッコに血が混じったら・・・血尿はからだの赤信号です : 高知医療センター

 目で見て明らかに血尿とわかった場合には、重大な病気が隠れている可能性があります。

もうバッチリ当てはまってるから早よ病院行けってあの時の私に教えてあげたい。もう2時くらいから肉眼的血尿だから。2時間経ってるから。そりゃ進化もするか。この時点で私の血尿はほぼ血。尿に血が混じるとかそういうレベルじゃない、血に尿が混じってる。逆転。

凝血尿はその名の通り、ドロッと固まった血が尿道から出るんすわ。女性なら伝わると思う、生理の時のドロッとかたまったアイツがあそこよりも狭い尿道から出るんだ。生理じゃないのが恐ろしい。むしろ生理であってほしかったー。何回かそう思って確認してみたけどやっぱり生理じゃない。

凝血尿が出る時の痛みたるや。悶絶。

私の場合ではあるが、それが何回も何回も出てきた。

わかりにくい例えで申し訳ないが、この時のお腹の痛み、出産に例えるならば子宮口6〜8cmのまだ産めないのかまだなのか〜って痛みがずっと続く。相当何か悪いことをしたんだな、反省し悔い改めますからこの痛みをどうにかしてください神よ〜とトイレでずっと祈る。何かがおかしいとさすがの私も気づき始め、母に報告。

「あのね、出産のときの子宮口が6〜8cmのどうにもならないお腹の痛みと、さっきよりもひどい血尿」

「ハハ、ひどい膀胱炎だね」

まじか膀胱炎半端ないな。

本気でそう思って、またトイレに戻った。

5時30分

痛みが最大のピークを迎えつつあり、トイレから一歩も出れなくなる。あと3時間(病院開院時間)もこの痛み我慢?無理無理。無理だって、頭おかしくなるって。ここで、やっと

いや、これ膀胱炎じゃなくね?と覚醒。

気付くや否やさっきまで余裕綽々で原稿書いたりしてたのに、途端に悲観的になる私、iPhoneのメモに「愛してるよ」と書いたメモを家族宛に残す。死にたい。そんな愛しの夫に連絡をとってみようと思うも、実家から自宅までは2時間の距離にある為呼んでも無理だわと諦める。そこでトイレからなんとか顔を出して

「もうほんと無理。病院まで待てない。あと2時間とか無理。というかほんとに何か産まれそうなんですけど」と母親に懇願するも「我慢しな」と一蹴。

そう言われましても〜(2回目)

いや貴方、もうこちとら産まれるってもんを我慢できますかってんの。

こうなったら自分でなんとかするしか。

自分で病院に行きたかったがもう既に運転できる状態じゃない。というかもう携帯もろくに弄れやしなくなっている。痛みで手が震えるやつ。我慢するしかないのか…というか私トイレで死んだらどうしよう…と唸りながら耐える。この時の痛みは子宮口10cm。出産ならもう産めるってんのになんだこいつは。というか産まれるって言ったけど何を産むんだ?でも産まれそう。産まれる。何かが産まれる。(実際石を産んでるんだけど)

この時の私はまさか自分が今まさに石を産んでいるなんて思いもしなかったが、あまりにも痛みが陣痛に近い為、無意識に産まれる産まれるを連呼。こんなこと言ってるから余裕があると思われてた。しかし当の本人はいたって真剣に「産まれる〜産まれる〜」と唸り喚いた。伝わらなかったけど。そんだけ痛い自覚があるのなら、何故救急車を呼ばなかったのか。救急車はもし本当に膀胱炎だったらって思ったら恥ずかしくて、出産の痛みを越えたら呼ぼうと我慢した。阿呆だと思う。そんなこんなで耐え忍ぶ内に、激しい痛みと共に大きめの凝血尿が出る。思い返せばそれから痛みが引いていった為、それが石だったように思うが、石だとは気付かなかった。

9時頃

本当にそこからは少しずつ余裕が出て、痛みが引いていった。受付時間になったので自分でタクシーを呼んで近くの泌尿器科へ駆け込む。しかしもうその頃にはトイレに何回も行ったり来たりしなくて済むようになっていた。病院でまず採尿してくださいと言われて採尿した尿がぶどうジュースみたいで、自分で出しといてえ?これ本当に尿?とドン引き。

結果は、尿道結石だろうとのこと。

なぜここが曖昧なのか、石出た自覚が自分にはない。音もなかった。もう痛みも引いた後だから、お医者さんもそう判断するしかないよね。

最初に書いたように健康診断ではいつもA 。健康には自信があった。自分に石があるなんて思ってもみなかった私は拍子抜け。念のため腎臓をエコーで見てもらう。なんか明らかに白いのあるんですけど〜

「もう一個あるねー」

やっぱり〜〜つ、つらい〜〜

絶望してお医者様に思わず泣きつく。

「やだ〜〜もう痛いのやだ〜」

「大丈夫小さいからそんなに痛くないと思う」

そんなに(ほんとかよ)

2個目が成長せずに早く出てくれと今でも願うばかり。念のため血液検査もしてもらった。最後にお医者さんに聞く。

「女性で、比較的若い人でも尿道結石って結構なるもんなんです?」

「うーんハハハ」

ハハハ。

診察室を出た私、呆然としつつ、会計を待つ間iPhoneのメモをそっと真っ先に消す。証拠隠滅ミッションコンプリート。痛くないからご機嫌ハイ状態になって病院から実家まで歩いて帰り、そのまま美容院に行った。もはや執念。しかしその後熱を出してまる1日寝込みながら育児をして授乳をした。しんどかった。改めて私の健康意識やばいなと反省した。

症状が良くなったからといって無理はするな。安静に。くれぐれも安静に。次の日血液検査の結果を聞きに行くが全て問題なし、健康。あんだけ血が出てたり熱が出たけど、腎臓悪くなってなくてよかったと心底思った。

こうして私のはじめて尿道結石はおしまい。

尿道結石、わたしのまとめ

主な症状

  • 残尿感
  • 頻尿
  • 血尿
  • 内臓の痛み

後から聞いてわかったこと

  • 悪寒

冬で、夜だから寒いのは当たり前だと思っていたが、ストーブの前に陣取り、上着着込んでも寒い寒いと言っていたらしい。

  • 腰痛あたりの違和感

しきりに腰あたりをさすっていたらしい。内臓が痛いと思っていたが、おそらく腎臓から石がおりている最中でそのため、腰付近わき腹あたりが痛くなりさすっていたと思われる。

(腎臓からおりて、膀胱に行くと下腹部あたりが痛いそうです)

救急車利用マニュアル

何故救急車を呼ばなかったのか。

色々理由はある。膀胱炎だったら恥ずかしいというのもあるが、実際のところ母がこどもたちの面倒を見てくれている為、付添人どうしようとかそんなことを考えていたりした。あとはそもそも私みたいな割と若くて元気な奴が救急車って呼んでいいものなのか、どれぐらいの痛さで呼んでいいものなの?しんどいけど我慢しろって言われたら一応まだ我慢できるけども……

しかし、お医者さんには言われた。

「よく救急車呼ばなかったね。僕は呼んだよ」

よ、呼んでいいんだ〜。

実は私は自分に自信がなく、何かと我慢するふしがある。もし次があってももしかしたら我慢してしまうかもしれない。それは避けたい。私以外の誰かが、第三者が決めたわかりやすい判断基準があればいいのにと、ぐぐってみたらあったよ救急車利用マニュアル。

 救急車利用マニュアル A guide for ambulance services :: 総務省消防庁

 f:id:shinyrockbook:20161207212017j:image 

判断に迷ったら、各都道府県ごとに救急相談窓口というのがあって、そこで救急車が必要かどうかを判断してくれるらしい。次から積極的に利用しようと思う。

今後気をつけるべきこと

なんせ石がもう一個あるんでね。

石予防については

  •  シュウ酸を摂りすぎない

これに尽きる。シュウ酸の多い代表はほうれん草。しかしそもそも、実は夫にも腎結石があって、我が家ではほうれん草はご法度なんで大丈夫。

尿道結石になる原因も色々調べたが、尿道結石になる人は生活習慣病予備軍とか肉中心の食生活ガー云々など散々書いてある。いやしかし、しかしそもそも私まだ26歳。自分で言うのもなんだけど尿道結石患者の中では若い。それにここ3年くらいは妊娠出産もあり、食生活にはそこそこでは気をつけていた。その前は実家で暮らしなんで、食生活じゃないと思われる。じゃあ?なんで?まあなるべくしてなったのかなあ。石と共に生きる人生。やだなあ。あんな痛いのはごめんなので、食生活ももちろんではあるが、それ以外で気をつける点を書く。

尿路結石を予防するために、こんなことにも心がけを! | おしっこチェックで健康コントロール | 健康生活のススメ | 日本ケミファ

  • 水分補給

実は普段全然水分を取らない。母乳もあげてて、夜中授乳して朝起きたら干からびそうなんてこともここ2年ぐらいざらにある。水分をしっかり取るように心がけようと思う。

  • カルシウムの摂取

不足している自覚はある。牛乳飲まない、乳製品食べない。ダメじゃん。こちらも意識して気をつけたいところだ。

  • 健康意識の改善

もう若くないの。ある程度我慢したら治ってる時は終わったの。異常を感じたらすぐ病院へGO。家族の健康は母親から。身体が資本なんですよ大事にしようね。

最後に

尿道結石になったことで、自他共に我慢強いという称号を得ることになったが全く喜ばしくない。我慢しすぎるのはよくない。非常によくない。石が出たからよかったものの、出なかったらトイレで倒れてたかもしれないと思うとぞっとする。どう考えてもそっちのが危ない。次こそは早めに症状に気付き、病院で少しでも楽にしてもらおうと思う。

長々と書いたが、本当に、誰にでも起こることなのです。これを読んでくれた方が、明らかに痛い時に、もしや…尿道結石…?と気付いて1人でも病院に駆け込んでくれたらと思う。

 

以上、私お疲れ様でした!