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知ってほしい心の内と、その葛藤と

大好きな叔母や、お義母さんのような人間になりたかった。

※今回は前回より更に愚痴増しです

実際は、どうだろう。あれだけ嫌だった母に似てきてしまっている自分がいる気がしてならない。絶対に母のようにはならないと心に決めていたはずのに。母に似てしまう自分が嫌いだから、こどもに同じ思いをさせる前に消えてなくなりたいという思いも捨てられない。こどもにとって私は悪でしかないのではないかと、日々そんなことを思ってしまう。

話は変わるが、前回の記事↓

産まれてこなければよかった、という呪い。 - てけとうじんせいjijihijiki.hatenablog.com

これを勢いよく書いたはいいのだけど、離れている母に見られたらどうしよう、怒られるのではと、あれだけ書いておきながら今更びくびくしている。

またそれとは別のところで、母とはおそらく今険悪になっている。尿道結石の件があって、私はもう1人では実家に帰ってくるなと言われているのだが、家族を連れて帰るとも言い出せないほど、今険悪だと思う。実家があるところには当然私の友達がいて、私が大好きな叔母がいる。帰りたいなと思うこともある。でも1人では帰れない。帰りたいと思うときに帰れないのはなかなか辛い。そして実家に帰れないということは、大好きな叔母には会えなくなるにも等しい。私が謝れば解決する。しれっと今度帰っていい?って素知らぬふりで聞けばいいだけの話なのかもしれない、色々面倒くさい。

そんなことを色々と考えれば考えるほど苦しくなって、ついには眠れないほど胃が痛くなり、涙が勝手に溢れて止まらなくなってしまった、そんな夜があった。

家を離れて今現在の方がストレスがダイレクトに体調にあらわれるようになってしまった。これいかに。もちろん実家にいる時の方が断然ハイストレスなわけだが、その時は何も体調面にあらわれなかったのは、私がド健康だったからか、それとも今更になってツケがきているのか、それはわからない。

そんないつものようにメンがヘラっている私を夫は少しもまたか…って顔をせず、少し母のことは放っておこうと言ってくれた。「時間をあければ変わるかもしれないし、変わらなかったら、会いに行きたい人にだけ会いに行けばいい」それを聞いて、そっかと心が少しだけ落ち着くも、それがもしバレでもしたら、と思うと怖くてできやしない。私は何より母から怒られることを恐れている。2時間以上離れた場所にいるのに、考えるだけで震えるほど怖い。前の記事についてもどう思うか夫に聞いてみると「俺はむしろ見てほしいけどね」とはっきり言った。こいつなんて恐ろしいことを、と最初は思った。だってこんなこと知ったら激昂するに決まっているし、逆にさめざめと言い訳のような愚痴が飛んできたり、育てにくい私が悪いのだと、もし言われるようなことになったら……それこそ胃に穴があいてしまうじゃないか。そう伝えると夫は「今、〇〇(私)が苦しんでるのは紛れもなくお母さんの所為だし、それを知らないまま死ぬのも俺はどうかと思う。あれを見てどうこう言うわけじゃなくて、せめて思い知ってショックを受けてほしい。〇〇はどう思う?それを踏まえて、見て欲しくない?」もう、目から鱗だった。

結婚前から、この人のこういうところがとても好きだった。自分で考えて、自分の意見をきちんと言える人。自分を持っていて、自分が好きな人。夫のこういうところが私は好きだ。私にはないものだから。私はこんなことしか思って生きられない。迷惑とわかっていて愚痴らずにはいられない、そんな私が私は大嫌いだ。夫の一言は自分に自信がなくて、母に怯えるだけの私にとって、まさに目から鱗だったし、とにかくありがたかった。それを聞いた私は、素直に見てほしいなと思い、この記事を書くことにした。お母さんも大変だったよね。わかってる。でもね、私はね、こう思ってたんだよって…やっぱり知ってほしい。

家の仲を取り持とうと感情を押し殺しながら頑張ったり、何度も枕を濡らしながらそれを無理だと諦め、家がいるのが嫌で、やっと大人になって、出来婚という形で突如として家から出る。
そんなただの素行不良娘の昔話。
母との思い出をここに書いていきたい。

 

 

高校生の時、車通りが激しい交差点で、信号を待ちながら「このまま突っ込んで死ねたらいいのに」そんなことを思いながら毎朝通学していた。

それは一時の思春期のものには留まらず、大人になった今でも定期的に思うことだし、この高校生の時は特にひどく、もう全てが嫌で、この先いいことなんてなにもないと本気で思っていた。仲の良い友達にもこの先の人生明るいことなんてないから、頑張っている部活動が終わったら死んでしまいたいと、そんなことを漏らしたこともある。ちなみにその時の友達がなんて言ったかというと「松坂牛を食べよう」と返してきた。食べたことはないが、高級肉だから美味しいはず。それを食べずに死ぬのは勿体無いじゃないかって。その後私たちは帰るまでずっと、死ぬまでに味わわなければ勿体無い食べ物を言い合って帰った。あの時のあの返しはほんとに笑った。友達にはとても感謝している。

両親はまさか私がそんなこと考えていただなんて、夢にも思わないだろう。でも、そうだったんだよね。今思えば高校生の時の私は、かなり限界だったのだと思う。

自分では頑張って取り持ってきたつもりの両親の仲は、父の借金という形で目に見えて最悪なものとなり、母に「あんたたち(妹がいる)の為に離婚しないんだからね」と言われ、家の中はかつてなく空気が悪くて、どこにも私の居場所なんてなかった。当時頑張ってる部活があったから、それがあるまでは死なない。そうやって死ねない理由を探す毎日だった。でも結局死んでないのだから、痛いのは嫌で死ねないただのメンがヘラった奴なんだと思う。でももし、もうここから楽に消えることができるなら、それができるならみんなにとってそれが一番いいと思っていた。未だにその劣等感や自己否定、希死念慮は消えることはない。

それでも、なんとか道を踏みはずさずに、今まで世間一般の"普通"程度に生きてこられた。それは、松坂牛の友達の件もあるが、周りに恵まれていたのと、借金の件で、叔母が真っ先に私を抱きしめて「辛かったね」と言ってくれたからだと思う。あの時私を気にかけてくれてくれたのは、叔母一人だけだった。それがどれだけ救われたか、感謝してもしきれない。

この先はとりわけて母や家族と、その自分のことを書いていこうと思う。

私が一番幼い時の記憶は、2歳〜3歳の頃からある。その頃から、気付いたら様々な塾に通わされていた。教育や、しつけにとことん厳しい母だった。箸がちゃんと持てないと手が赤くなるまで叩かれた。しかし「あんたはまだマシよ。私もおばあちゃんに箸が持てないと箸で叩かれたのよ。まだ手だから痛くないでしょう」が決まってついてきた。この服着たくないと言うと「同じことをおばあちゃんに言うと裸で外に吊るされたわ」と言われる。家の毒が根深いなと思うのは、毒の親もまた毒だから。そうやすやすとこども1人の力で解毒できるものじゃない。

手が出るなんてことはほんとに日常茶飯事で、ひどいときは物だった。しかしそんな母も、遊びにはよく連れていってくれた。母の作るご飯は美味しかった。いい思い出だってたくさんある。そんな思い出と、されたことや、言われたことの狭間でいつも揺れて苦しい。本音はいつも、何より母に好かれたかった。だから母の言う通りにできない私が悪いと思っていた。そんな自分がいつも嫌いで、性格が丸々変わってくれたらいいのにと小学生の時から思っていた。母の言う通りにできるような、別の自分になりたかった。

母と違って、私の中の父はいつも曖昧だ。ろくに話したこともない、そもそもいつも帰宅が遅くて、家にいない。幼い頃はいても毎晩のように母と喧嘩をしていたし、そんな母から父の愚痴を常に聞かされていた。私の顔は父に似ているのだが、母が父を嫌っているため、母が私のことを父に似てるというたびに、私も嫌われてしまうのではないかと、それが怖くて、頑なに認めようとはしなかった。

もうきっかけなんて思い出せないけど、かなり幼い頃から私には爪を噛む癖があった。その癖は幼い頃の癖に留まらず、ついには指の皮までめくるようになってしまった。今現在、強迫性皮膚摘み取り症になっているように思う。私が精神科にかかりたいな、と思う理由の一つになっている。自覚症状としては、爪噛みと、爪のまわりの皮めくり。ニキビはつぶすし、かさぶたできたら剥がすし……言い出したらキリがない。全部時間を忘れて、血が出て痛いと思うところまでやってしまう。そういえばこの皮膚摘み取り症の中の一つに、髪の毛を抜く癖があるのだけど、小学生の頃あったのだが……その時の話をしようと思う。

 ……色んなことがストレスだったのか、爪を噛む癖に加えて髪の毛を抜いて、怖いことにそれを食べるという癖が出始めた。その時の絵面は想像したくない。狂ってやがる…おそらく、食べたのは抜いている髪の毛を親にバレたくなかったのではないかと今では思うけど。

案の定、やりすぎて一部分が禿げたことで、母にすぐバレるし、その場で父にもバラされる。母にどうしたの?と聞かれても、知らない、の一点張り。そして、皮膚科へ連れて行かれることになった。あの時は怖かった。だって、当然自分で抜いている自覚があるのだから、嘘がバレてしまうと思ったから。しかし母にはまさか自分で抜いているなんてそんなこと言い出せない。母はなんらかの病気を疑っている。診察も、お医者さんには母の手前、知らない勝手に禿げたと言ったけれど、そんなこと今にバレて、怒られると終始びくびくしていた。しかし、先生は優しく先に待合室へ行っていなさいと、言うだけだった。
その間何が話されたのかはわからないが、そわそわしながら待っていると、待合室から母が帰ってきた。しかし母は何も言わない。でも、その無言が、その顔が、機嫌が最悪だということだけはわかった。私はいつ怒られるのかとびくびくしながら会計を済ませるのを黙って待って、車に乗ると、母は途端に私をしかりつけた。

「私に恥をかかせやがって、あそこにもういけないじゃないか。あんたはいいよね。ストレス?その程度のストレスで髪を抜くんだったらいっそのこと髪の毛を全部抜いてしまえ。」
髪の毛を引っ張られ、泣きながらごめんなさいと謝った。
翌日あった家庭訪問では、「見てくださいよ、先生」とまだ禿げている頭を、当時の担任の先生に強制的に見せられた。「この子自分で髪の毛抜いちゃって(笑)」私もそれに合わせてなんとか笑った。髪の毛を抜く癖はなくなったけど、かわりに指の皮をめくるようになった。

他に小学生で思い出深いのは、将来の夢の作文で、どうせお母さんに決められると書いて親を呼び出すことになったりとか、80点以下を取ると怒られて叩かれるからそれが怖くてカンニングしてバレたりとか、親の気をひこうとあることないこと嘘ついて担任の先生にバレるとか、男子をみんな〇〇君と君付けで呼んでいたのだけど、仲の良い男子に呼び捨てで、と頼まれて呼んだら、母にバレて怒られ叩かれ、男子に泣きながらできないって言ってドン引きされたりとか、嘘を重ねる私に包丁だして殺してやろうかとか、車を池の前まで出して、一緒にここで死ぬかとか、妹なんて算数の教科書の固い方で顔を叩かれ前歯が2本抜けた。乳歯だったからよかったものの、私も分厚い図鑑で叩かれそうになって死ぬと思ったこともあったし、怒った時の母はほんとうに恐ろしかった。テストで80点以下なんてとろうもんなら、恐ろしくてなかなか家に帰れないし、どうやって隠すか必死になった。なぜ隠し、嘘をつくのか、嘘をつくから怒られるのではないかと母に言われたが、素直に出しても叩かれて怒られるのだから必死に隠す方法だってそりゃ考えるわなと小学生の私に少し同情してあげたい。この頃両親の仲は、父親が性病になって帰ってきたとき母が「私の人生返してよ」と言ってしまった為にもうかなり悪くなっていたらしい。そんなこと後から知るのだけど。

 

さて、中学生になった私がどうなったかというと、勉強する意義がわからなくて、全くする気になれなくなっていた。明日テストなのに何も勉強してないなんてことはザラ。塾に行ってもやる気はゼロ。部屋に帰ってもぼーっと天井を見つめるだけ。小学生の頃まではドリルの一単元ごとに母の答え合わせがあったのだけど、それが中学生になり、あんたもこどもじゃないんだからとそれがなくなった。母は幼い頃から勉強する癖をつけたつもりでいたのかもしれないが、目論見は完全に外れていて、今まで怒られるから勉強していただけなのだとその時気付いた。だからせいぜい怒られない程度にぎりぎり勉強するぐらいが関の山。高校だって正直どうだってよかった。なんで頭のいい高校に通わなくてはならないのか、そこに行ってもいいことがあるのか。こうやって決められ続けて、少しでも点数が悪ければ叩かれるのに?この先もずっと?私の人生ってなんだ?この頃あたりからそんな気持ちが芽生えてくる。おめでとう反抗期です。ちゃんと人間の成長過程は順調に歩んでいますよ。とにかくそんなのはごめんだと思っていた。母が進める進学校も、学校見学に行ったってなんら興味すら湧かなかった。私は勉強から逃げるように部活動や、諸活動に勤しんだ。母はそれを良く思ってなく、勉強以外の頑張りを認めないので、勉強を頑張らないと、部活動もやらせてもらえなかった。部活をやりたいが為に勉強をしていた。

ある時のこと、悪い順位の成績表をもって帰ると、母は鬼のような形相で怒り、持っていたラケットをヒステリックに階段へガンガンと打ち付けはじめた。驚きすぎて何が起こったのか理解できないまま呆然としていると、ヒビのはいってしまったラケットを真っ二つに折って私に投げつけた。この時の母はそれだけでは収まらず、私の部屋のありとあらゆるものをひっくり返し、電話の子機も粉砕した。そして全部を私に片づけるように命じた。気をつけろ、カーボンは刺さると痛い。

片付けながら、ただただ明日の部活どうしようと考えた。これでも校内では一番強くて、次の試合だって決まっていて、副部長を任されていた。翌日珍しく父親が何か言ったらしく、舌打ちされながらラケット買ったっけ。なんだかんだ無事に部活は最後まで続けることができた。そんなことがあっても私は残りの中学生活、ずっと勉強をしなかった。もちろん母はそんな私を許すわけなく、怒り、叩いた。しかし私はだんだん叩いても言うことを聞かなくなってしまって、そんな私と母が対決していたのが中学生活の主だった。何かにつけては「もう学校へ行かなくていい」「誰が生活させてやってると思っているんだ」と言われ、言い返す気もおきなかった。勝手に公立高校の推薦を取ってきたときも、もしそれに落ちたら、既に受かっていた私立の進学科に進んでもらうと言われた。最初っから私に選択肢などないのだ。だから無理やりでも推薦をもぎ取ってきて本当によかったと思う。それからの親からの私の評価は無駄金使いの聞かん坊、やればできるのにやらないどうしようもない奴。順調に家が嫌いになりつつあった。

 

無事に推薦で受かった高校に入った私はこれまでより一層部活動に勤しんだ。吹奏楽が好きだった。何よりも音楽が好きだった。もちろん母はよく思ってなく、成績が悪かったら部活動を辞めろと言われていたので、悪かった時はコピーをとってペイントで編集して誤魔化したものを見せたりした。一度だけ正直に見せた時、次の日大切な大会があったが、家に軟禁されてしまって部活に行けなかった。それからはもうずっとコピーしてたな。その頭があったらもっと他に使えと今では思うけど。

父の借金が発覚したのは帰ってきて突然だった。母が慌てふためいて「私の学資保険が全部使われている」と言った。勝手に解約したのは父だと。間も無く帰ってきた父より借金は私の学資保険を全部使っても残りがまだ500万くらいあると言われて、家庭崩壊とはこのことかと他人事のように笑った。しばらく別居することになり、もういっそのこと離婚したらいいのにと勧めたが、母は私と妹の前ではっきりと「私はアンタたちの為に離婚しないんだからね」と言った。あの時の言葉となんとも言えない感情は、一生忘れない。忘れることができない。借金は父の実家と母の実家が揉めてなんとか返済。別居も解消したものの、会話なんてあるわけなく、家庭内別居状態。

書かなくてもわかっていただけると思うが、居心地はかつてなく最悪だった。どこにも居場所なんてない気がした。どれだけ面白い会話をしても、家族で笑い合うそんなようなことはもう一切ないんだ。父と母の会話はそもそも一切ない。こんなにも仲が悪くなってしまったのなら、家族を装う必要性はどこにあるの?世間体?そもそもお父さんとお母さんは、ずっと仲が悪いけど、なんで結婚したの?私たちの為に離婚しないんだって。学費も私の使ってたし、離婚しないのも私のせいなんだ。全部私のせい。産まれてこなければよかったって言ってたしな、私なんていらなかったんだな。産まれてきちゃダメだったんだな。産まれてこなければ、お父さんもお母さんも、それぞれ幸せに暮らしていたかもしれないのにな。なんで私生きてるんだろうな。死にたいな。死んだらきっと、みんな元通りになる。死ななきゃな、でも死ぬのって怖いな、誰か殺してくれないかな。

↑当時はまんまこういう風に思っていた。

そして私は家のことを忘れるように、少しでも家にいなくてもいいように部活にのめり込んだ。防衛反応だったのかもしれない。あのまま行けば本当に心か折れるか、先に体が道路に飛び出すかのどちらかだった気がした。

部活を頑張ることで家に帰らずに済むのもありがたかった。朝練はもちろん、土曜日も丸一日練習していたし、休みは日曜日だけだった。それだけ頑張ったおかげか、ソロの地区大会で金を取り、県大会へ行けることになった。初心者の高校生にしたら2年間で本当によく頑張ったんじゃないかと思う。もしかしたら褒めてもらえるんじゃないかと、どきどきしながら電話でそれを伝えると「そんなことより、明日のテストは大丈夫なんでしょうね」とテストの心配をされた。舞い上がった気持ちもどこかへ飛んでいって、一瞬にして地に叩きつけられた気持ちになった。褒められたことがないのは、私が頑張れてないからだと思っていたけど、これで褒められないのだったら、もう無理だ。同時に色んなことが思い出されて、賞状をくしゃくしゃに握りしめながら泣いた。こんなに頑張ったのに、結果も出したのに、他に何を頑張ればいいの?小学生や中学生のマラソン大会だって、頑張って7位をとって表彰状を持って帰ったときも、それだけできるんならなぜ最初からやらないのかと怒られたね。じゃあ勉強?母が唯一認める勉強だって、小学生の時オールAをとったことがある。塾の模試でいい結果を出したこともある。でもその時だって、褒めてもらえなかったじゃないか。調子に乗るなって、そう言ったじゃないか。

母は何をしたって褒めてくれないのだ。

多分私の諦めはここからきている。何をしても認められない遣る瀬無さ。いくら頑張っても他人から褒められても、満たされない気持ち。

この出来事があって、母に褒めてもらうことは諦めようと、親に対して諦める、というコマンドを使うことが多くなったように思う。

ここから大学進学〜就職までもまあ色々ある。色々あるけど省く。一言だけ言えば、こうした私の歪みは、何故か他の一癖も二癖も抱える人を呼び寄せやすくしているらしい。そういう人は人間関係気をつけたほうがいい。用心に越したことはないよ。

良いこともある。この辺りから本格的に外の世界を知って、ある程度の自由を手に入れるので人生がみるみる楽しくなってくる。

しかし所詮実家暮らしだから外の世界と家の世界の板挟み。とにかくこの時くらいには家の全てがうんざりだった。一刻も早く家から離れたかった。とりあえず大学卒業して一悶着あった就職活動も終えて、晴れて就職。この頃には夫と出会って付き合っていて、もう家にはほとんど帰らなくなっていた。もう帰りたくなかった。それで夫に迷惑をかけたのはいい選択だとは思ってないし、今でも申し訳ないと思ってる。でも晴れて結婚して、家が離れてどれだけ苦しかったか思い知るそんな毎日を送っている。

 

昔話はこれでおしまい。

金銭面ではやはり親に感謝せねばならない。でもこうやって書いてみると異常さが浮き彫りになるのも自分でもわかった。自分で子ども育てて、わかる部分もあるし、子育てや夫婦間のいざこざでしんどかったのもわかるけど、それでもわからない部分もたくさんあって、やっぱり愛してなかったのかな、私は所詮は愚痴吐きの道具だったのかな、とか思ってしまう。

前の記事でも言ったように、普通の家庭というものを夫の家族で目の当たりにして、今までの人生は、苦労は一体なんだったのかと愕然とするし、正しく愛されなかった私がきちんとこどもを愛せるのか?私も母みたいになってしまうのでは?とどうしもうもなく子育ては不安だし、必要以上にピリピリしてる気がして、しんどい。漠然と生きるのが辛いのはやっぱり今でも変わらない。

いつも自分の行動の基準が、母に怒られないように何かをするだったから、怒られない環境に行くと何をしていいかわからない。何かをすると、母が怒るかもとビクビクしてしまうのもなかなか治らない。自分という意思が、感情が、なかなか素直に出せない。わからなかったりする。

「このままだと、ど根性ガエルの娘みたいなことになるよ」と夫は言う。両親が倒れて、こんなはずではと私も思うと言いたかったのだろう。でも、どうだろう。もし、父や母が倒れた時私も思うのかな。後悔するのかな。全くそんな自分が思い浮かばない。それは置いておいても、介護問題で衝突するのは目に見えてるそうで。ははあ、おっしゃる通りだと思います。

もし、このまま介護問題に直面したら冗談ではなく胃に穴があくな。それまでになんとか自分の心を整理したいとは思っている。

今はまた母が嫌い期なんだと思う。悪い人じゃないんだ。ただちょっとヒステリックなだけなんだ。高校の時だって毎日弁当を作ってくれた。母のごはんはとても美味しかった。

そして、母の愚痴を聞かされていたせいで、全ての根源は父親にあると思い込んでいたけど、今となってはわからない。父親も、ヒステリックな母親に参ってギャンブルに走ってしまったのではないかとそんなことを思ってしまう。父親父親で悪いところはたくさんあって、仕事での父の姿はわからないが、家庭での父はあまり尊敬できるものではなかった。しかし母よりは幾分か話が通じるのは確かだ。就職活動でぶつかったときも、テニスラケットを粉砕されたときも、話が通じたのは父親だけだった。しかしもう離れてしまった今となっては、それを確かめる術はないけど。

あーあ、父と母を好きでいたかったなあ

ずっとずっと好きでいたくて、自分が取持ったり頑張ればいいと思って我慢したりもしてきた。でも、無理だった。私の力が足りなかっただけかもしれない。

出来の悪い娘で、どうしようもないやつでと、お母さんやお父さんが言うたび、心から私は本当に産まれてきてよかったのだろうかと思うよ。

私が産まれてきてしまったが為に、無駄なお金を使わせてしまって、離婚もできなくて、なんも得することなかったよね。あーあ。ほんと親孝行のできない、出来の悪い娘でごめんねー!

 

さて、こういう気持ちはこういうとこに吐き出しちゃって、気持ちを切り替えるに限るね!!

 ……もし、親がこれを見たらどう思うのか、私には想像もつかない。お金はしっかり出してる娘からこんなこと書かれるなんて、親不孝も甚だしいって言われるのかな。間違いなく私は親不孝で、この先親孝行しなければならないと思うのだけど、素直に親孝行したいと思う気にはなれないんだなあ。

そんな中最近救われたページをここに置いておきます。

「親孝行」という倫理観の重圧 うつ・双極性障害・摂食障害の要因

もし、親孝行という言葉に悩む人がいたら、このページを全部読んでほしい。

この部分だけでも私はだいぶ救われた。

だから私は、父が喜ぶ顔を見ると嬉しいと感じ、何か彼が喜ぶことをしたくなる。
しかし、それは決して、倫理観や責任感からくるものではない。
父親が私に、それだけのことをしてきてくれたからなのである。

親孝行ってそういうもんだと思う、私も。だからさ、まださ、そんな気分にはなれないんだ。ごめんね。

私は私の人生を歩む為に、重く、そして亀のように遅い足取りだけど、一歩一歩また前に進むよ。それがたとえ貴方たち親の意に沿わないことだろうとも。

先ほどのサイトの他の用語も是非読んでみてほしいから置いておく。
第一歩の瞬間 カウンセリングの場面にて
希死念慮・自殺念慮|大阪堀江 幸朋カウンセリングルーム
子は親に似る? 大阪北堀江のカウンセリング・スペース・幸朋

このページのおかけで、精神科に行ってみようと思った。とりあえず予約。1ヶ月待ち。次書くときは少しでも、この気持ちがなんとかなっているといいな。それでは

関連

ちらりと書いた、「ど根性ガエルの娘」

話題になったので知ってる人も多いと思う。

ヤングアニマルDensihttp://www.younganimal-densi.com/ttop?id=78www.younganimal-densi.com

ピクシブで共感した漫画。

【実録漫画】「うちの親って毒親だったんだなあ」漫画/クサカ(元 源蔵) [pixiv]www.pixiv.net

共感というか、家もこんなんだと思ったまとめ。

【毒親】ひがみっぽい長女「次女の方が可愛いんでしょ!私の事は放っとく癖に!」→上手く叱る方法はないかな?(前編) : かぞくちゃんねる

【毒親】ひがみっぽい長女「次女の方が可愛いんでしょ!私の事は放っとく癖に!」→上手く叱る方法はないかな?(後編) : かぞくちゃんねる

なんで毒親って子供を勝ち負けとか、世間体でしか見ないんだろうね。自分が認められたい一心で子供を育てちゃだめだ。あんたのおもちゃじゃない。

前回から読んだ本。