母の過干渉で頭がハゲた話

こんにちは、ひじきです。タイトル通りです。

今現在、月1でメンタルクリニックへ通っています。そこで処方された薬と、ヤーズ(低容量ピル)を服用中。先生のこのまま親とは距離を置くのがいいとの進言もあり、連絡も帰省もほぼしていません。なので、これで親と、私の心の問題は落ち着くかと思っていました。そんな矢先に

やってくれましたよ、母親が。

今回ばかりは胃も精神も限界だと思いました。というか縁を切ろうかというところまでいきました。この1ヶ月のことを愚痴らずにはいられない。書いて整理しなければ、もやもやが晴れないということで書きます。

事の始まりは、下の子どもが川崎病の疑いで入院することになったことからはじまる。

9月に入る少し前、下の子が熱を出した。子どもが熱を出すことは本当によくあることで、その時の症状も熱と、咳と鼻水。少し前に上の子が風邪を引いていたので、風邪が移ったのだろうと思っていた。しかしその熱が高熱で、解熱剤を使っても一向に引かず、38.5度以上の高熱が続いていた為、2日目あたりで病院につれていくも、この時点ではまあ風邪でしょう、という診断だった。事態が急変したのは高熱が続いて4日目のこと。朝、子どもの着替えをしている際に背中やお腹中心に発疹を発見。今までみたこともない発疹に驚き、病院に連れて行くと、先生から「おかあさん、川崎病くさいですよ」と言われる。決め手はBCG注射の跡が赤く腫れていたことだった

www.ncvc.go.jp

川崎病、という名前だけは知っていたが、詳しくどんな病気かわからないまま「つまり、入院ということでしょうか」と朧げに聞いた記憶がある。まさかこんなことになるのは思ってもなかったので、家に帰り、慌てて準備をはじめようとするも、丁度お昼時だったので、上の子がお腹をすかせ泣いて、慌ててご飯を買いに走り、高熱でぐったりしている下の子を抱きながらご飯を済ませて、なかなか進まない準備に途方にくれながら上の子のことをどうしよう、もう誰でもいい、誰か手伝って、助けてと思った。猫の手も借りたいというのはまさにこのことだなと。

そうして真っ先に私が連絡をとったのは夫で、次に義母だった。毒親だから、嫌いだからという理由で母親に連絡を取らなかったわけではなく、悩んで決めた結果がこうだった。家はどちらの実家とも離れた場所で暮らしてこり、母親は車で2時間の距離、義実家は電車で2時間30分の距離。加えて母親は日中仕事をしているため連絡がつきにくい。なので、ここは遠いが、義母に連絡を取ることにした。

入院する病院に着いた頃、お義母さんも来てくださり、夫も仕事場から駆けつけてくれて、ようやく少しだけ落ちつくことができ、母親に子供が入院したことを連絡。すると、すぐLINEの通知の嵐、着信の嵐

いやいやいや、病室だから…個室じゃないから…無理…

熱が下がらない下の子をなだめ、泣きながら帰った上の子に私も涙ぐみながら別れて、家と上の子のことは夫と、お義母さんに任せることにして、こうして私のトイレもろくに行けない付き添い入院生活スタートだから、母親からの電話にすぐに出る余裕はないわけ。やっと落ち着いて連絡がとれたのは、娘が夜寝てからのこと。

「何も知らなくて、役立たずでごめんね」「何もしてあげられなくて、ごめん」とメールが届き、なんだか嫌な予感がするなと思いながら就寝。

2日目も下の子の熱は一向によくならず、解熱剤を使ってもぐったり。川崎病の決め手が出ないまま、この日も抗生物質の点滴で様子を見ることとなった。下の子はしんどいのと、人見知りもあって、看護師さんにいっさい心開かず、また点滴のストレスもあって、私の髪の毛をひっぱり、ベットの柵を蹴りまくり、かわいそうでならなかった

そんな中母親来襲。

「アンタなぜ私を一番に呼ばなかったの?」

「!!!!???」

もうちょっと怒り気味の母親に圧倒される私。

私が上記の理由を答えると

「仕事じゃなかったのに、なんでよもう!」

「?????」

なぜ問い詰められなければならないのか、怒られなければいけないのかわからない。とりあえず心にもないごめんを言うと、今度は義母の前で、親戚まわりの最近の出来事、もとい親戚の悪口を話はじめた。

今、そんなこと猛烈にどうでもいい。

というかよくそんな恥ずかしいこと平然と話せるな。恥ずかしい気持ちを抑えながら流していると、話は終わらず更に上の子の七五三の話になるではないか。

もうほんとどうでもいい~~~~

というか入院のことでこちとら頭いっぱいやねん。他のこと考えさせんといて~~~娘の入院以外のことで既に疲れ気味。2日目終了。

3日目。娘の川崎病っぽい症状といえば、発熱、目が少し充血している、発疹が出ている。この3つだけだった。6症状ある症状のうち5症状を満たせば川崎病と診断されるが、娘はそれが出なかった。(BCGの腫れは6症状のうちに含まないそうだ)しかしこの日から川崎病の治療であるγーグロブリン療法をすることになる。これまで2日間の抗生物質点滴に加えて、入院前、熱が出てから2日目あたりから抗生物質を含んだ薬を飲んでいることから、他の病気であったらまず治っていると思って間違いない。家の娘は、いわゆる「非定型の川崎病」ということで治療が開始された。

まれに点滴が効かない子や、アナフィラキシーショックが起こると説明を受けていたので、緊張しながら1日を過ごしたが、その治療を開始してから、次の日の朝にはすっかり熱が下がりきっていた。入院してからトイレにもなかなか行けないし、お風呂も入れないし、なかなか眠れない毎日だったが、そんな些細な苦労も疲れも吹き飛ばしてくれる嬉しさだった。

この日、母親に何気ない会話から自分が服用している薬について訪ねられる。別に隠すようなことではないので正直に答えると、「夫婦の問題だけど、ピルはやめなさい」と言われたので、「私はPMDDという病気だから、これは自分のために飲んでいるんだよ。ピルだけじゃない。ピルと抗うつ剤も飲んでるよ」とはっきり説明をした。したはずなのに、これが皮肉にも母親を暴走させるきっかけとなってしまった。これは後から書くことにする。

そしてもうこの日を境に下の子の熱は上がることはなく、次の日には点滴が取れて、病棟を散歩できるまでになり、私も自由にトイレに行ったり、一緒にシャワーを浴びることもできるようになった。

退院がすぐそこまで見えてきた。あともう少しというとこらで、少しずつ母親が暴走し始める。

「もしも子育てに疲れたときは、1週間ぐらい家に帰ってきなさい。あんたにも友達に会ったり、自分の好きなことをする時間が必要なのかも知れないから」

「たまにはあんたにも休みが必要なのかも」

突然来たLINEに、私は病室で涙が出るくらい怒り狂った。

かもってなんだ。かもって。

逆に休みが必要じゃない人なんているのか。そういう自分は必要じゃなかったのか?

過去私が尿路結石なったとき、残りの石があるうちはもう1人で実家帰ってくるなって言われたことがありましてね。(↓この時)

jijihijiki.hatenablog.com

そんなこと言われたので、誰にも頼らずに1人でやって、しんどいときだって頑張りましたよ、ええ。それなのに…私が薬を飲んでると知ったら途端に掌返しとは…ほほー。ほほー!

この人は、私のことをどれだけ馬鹿にしたら気が済むのかな ^ ^?

自分の理想のお母さんを演じるために、どれだけ私を無視したら気が済むのか。それがどれだけ私を傷つけているか、何にもわかっていない。母はそればかりか、こんなときばかり「自分の娘はなおのこと心配なの」と言ってくる。

もううんざりなんですわ。

相手にしているのが馬鹿らしい。そう思い、波立った心をすぐに戻して、もうすぐ退院だ。そうしたらまた距離が離れるから、と自分に言い聞かせて、返事は何もしなかった。

そうして7日目、やっと退院の日がやってきた。

やっとやっと退院できる。やっと母親としばらくまた顔を合わせずに済む。そう思っていたところに母親から思わぬ話をもらった。

「親戚の人が免許を返納したそうなんだけど、家が車をもらう予定だったんだけど、あなたのところのほうが使いそうだし、車いる?」

家は車は一台しか所有しておらず、これから病院通いをするにあたって、願ったり叶ったりだった。しかしこの場では即返事をせずに、夫と相談してから改めて連絡すると伝えた上で、私は家に戻った。

夫と相談した上で、車をもらおうということになり、まず先に欲しがっていた母親に了承を得るためLINEするが、だんだんと話がこじれ始め、返事をしなくとも一方的なLINE通知が続いた。

「維持費は大丈夫なのか」

「下の子が病気にならなかったら、譲る気はなかった」

「用事がなければ来ないし、訪ねなければ会えないし」

一家の当主として夫くんを不安に思う」

で?????

結局何が言いたいの????

言ってることがわからない。というかなんで夫の悪口を言われなきゃならない??

ていうかお母さん別に車のオーナーじゃないのに車のオーナーを差し置いて何揉めているの??というかそもそもなんでこんな話になった???わからない。そして面倒くさい。本当に面倒くさい。すごくすごく面倒くさい。

これ以上関わりたくない!

そう思った私は、母親からのメールは無視し、次の日オーナーに直接電話をして、事情を説明し、この件は手を引くと説明させてもらった。

次の日着信とメールが来たが全て無視した。

というかこの件でLINEの通知が怖くなり、通知が来るたびに胃が痛くなってしまって、ほとんど見れなかったに近い。

でも、これで全て終わった……そう思っていた。その3日後。

お義母さんに、実はこんなことがあって…って話をすると、なんと「なるほどーそういうことね、その後なのかな?家に電話きたのー」と話し出した

私「……誰から?」

お義母さん「お母さんから」

目の前がまっっっ白になって足元がふらついた。

母親が義実家に電話していた。しかも内容は、親子喧嘩をしたこと、おたくの息子さん(夫)の車趣味、要するに夫の金遣いについて。

あろうことか、夫の悪口を義母に言いつけていた。

アンタ一体何をしているんだ…

何をしているんだ!!!!?

こんなことがあれば普通、義母は、私が普段から不平不満を言っていると思われても仕方ない。義実家の方には、母親がこういう人で、家族はこんな感じと伝えてあるから本当によかったものの、頭を下げることしかできなかった。

「母親が本当にすみませんでした」

「母親に夫さんの愚痴を漏らしたことは一度もありませんというか連絡していません」

お義母さんに言い訳がましく謝って、心から情けなく、惨めに思った私のことなど、少しも考えていないからできたことなのだろう。

今回のことで、嫌と言うほどわかってしまった。母親は自分のことしか考えていない。私のことなど、まるで見ていない。考えてもいない。

ああ、この人嫌いだな。

他人だったら、関係を切ればいい話。

でも身内だから切れない。向こうはまさか自分が原因だとは思っていない。関係は良好であると思ってる。加えて、1つ言い返せば何倍にもなって返ってくるおまけつき。だから、私は放っておく、という選択肢しか取れない。

向こうは一切我慢していないのに、なんで私だけが、我慢しなきゃいけないの。なんで私だけが傷つかなきゃならないの。

そんなことを悩んでいたら頭も禿げたし、足に掻き傷がいっぱい増えてしまったし、お義母さんに心配をかけてしまったし、回復に2週間以上かかったし。踏んだり蹴ったりな1ヶ月でした。

親と関わるとろくなことが起きないので、なるべく関わらないのがやはり吉なようです。少しよかったことは、母のことを半信半疑だと思っていた義実家側でしたが、今回のことで信じてくれたことぐらいかな…

未だになんで下の子が入院したことで、こんな爪痕を残すことになってしまったのか、本当に意味がわからないよ!!

おしまい!

あとがき

 ↑という記事を10月半ばに怒り心頭で書き殴り、いやいや落ち着けと一回公開することを踏みとどまりましたが、最近宛先不明の絵本が届き、それが母親からだとわかりまして、公開することにしました。fxxk

聞くところによれば、母親は私が薬を飲んでいるという事実が大変ショックだったらしく、何をどう勘違いしたのか、今現在は私を育児ノイローゼだと思い込んでいるらしい。育児ノイローゼ=夫が協力しないから=夫くんが悪いの謎の方程式ができあがってしまったようです。そうして育児ノイローゼの人の為の?大人の絵本が届きましたとさ。
というか私PMDDって言ったよね!?育児ノイローゼじゃないよ!!?

日本語通じてねえええええええ